「新妻は壇蜜」を気分だけでも味わいたい人のためのグルメガイド

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 タレントの壇蜜さんと漫画家・清野とおるさんとの結婚が発表された。11月22日、いい夫婦の日に入籍したという。数多くいる男性ファンは、清野さんをうらやましく思うだろうが、既婚者はその気持ちを口に出さないほうがいいし、独身者も特に何か打つ手立てはない。

 ただ、彼女はエッセイストとしての顔も持つので、新婚夫婦の食生活をそこから推理することはできそうだ。食べ物の話だけで構成したエッセイ集『たべたいの』には、いわゆるグルメとは一線を画す、独自の食へのこだわりがつづられている。以下、同書から彼女の食べ物の嗜好がわかるところを引用してみよう。

 納豆について。

「私は『納豆を人前で食べるなんて出来ない』という学生だった。好物の一つであるくせに、『糸引いてパンチある匂いが広がって……それと格闘する様子を見られたくない』という面倒くさいことこの上ない理由を展開し、一人でこっそり、又は見ていないフリをする家族の前だけで自分も気づかれていないフリをして食べていた。

 無論、周囲には身勝手な羞恥心のために人前で納豆を食べることを遠慮しているように見えていただろう。理由のひとつがそこにあったことは間違いないが、ほかにもう一つ深い事情があった。

 私はひきわりタイプの納豆を好み、タレ以外は何も入れず、あまり混ぜずにパックにご飯を少しずつ投入して食べていたのである。今でもこの食べ方は変わらず、コレを見せるとやはり少し驚かれる。(略)

 食べ方が少数派でも、美味しく食べたいと思う気持ちは多数派の方々と変わらない。ただ、パックからいただけば茶碗がねばつかないし、パックの隅まで納豆を満喫できて無駄がないと思ったからだけなのだが……」

 ふりかけについて。

「飴やガム、チョコレートなどは勿論だが、最近は『ふりかけ』の携帯に安心感を覚える。お弁当を食べても、食堂へ行っても、ふりかけを持っている私は『大丈夫な自分』だという、訳のわからない自信が芽生えてくる。いったい何が大丈夫なのか、自分でも突っ込みたくなるが、とにかく『大丈夫だ』という表現がしっくりくる。恐ろしく小さい頃、食事をしていて『おかずを先に平らげて、白いごはんが茶碗に数口分取り残される』という状況に陥りやすかったからだと推測する。(略)。

 最近ではマネージャーや周囲のスタッフ殿にも『ふりかけの配布』が出来るよう、何種類かのフレーバーを常備している」

 魚肉ソーセージについて。

「29歳でのデビューだったが、私も何とかイメージDVDを出してもらうことができた。内容が随分と過激だね、と当初から周囲に言われていた。しかし私には3年やって芽が出なければ辞めるという、己の勝手な誓いがあったので『時間がない。駆け足』と考えたが故の『出し方』だった。そんな思考から、当時制作業者がつけたあだ名は『バイク便』。

『水着→下着→半裸→ヌード、と露出のギアを高速で進めていく女』という意味だったようだ。誉められていないことだけは理解していた。

 さてこのバイク便、今のファンの皆様と未来のファンの皆様へ『喜び』を届けるためにギア6速で走行していたのだが、どうしても『これはちょっと……』という演出があった。それが今回の主役『魚肉ソーセージ』だ。これを舐めたり食べたりかじったり……。『例の行為』を連想させたい気持ちは分かる。分かりすぎるほどだ。しかし、人間あまりにも魂胆がミエミエだと興ざめしてしまうことを私は知っていた。イメージの世界は必ずしも『鬼に金棒』が正解ではない。『バイク便に魚肉ソーセージ』はまかり通らない世界でもあるのだ。

 私はこの思いを制作業者数人に話した。『講釈たれるならウチは出さない』というあからさまな対応もされたが、『分かった。じゃあ他の演出を考えよう』と言ってくれる人もいた。(略)

 しかし、魚肉ソーセージに罪はない。彼らは肉製品の趣を出すために桃色であり、既存の概念を壊さぬように細長くなっているだけなのだ。魚出身だけどソーセージ業界のイメージを壊さぬよう健気にあんな色と形に……魚肉ソーセージもまたファンに喜びを運ぶイメージ商品なのだろう。

 私と魚肉ソーセージは同業者のようなものかもしれない。DVD撮影のときは共演できなかったが、いま我が家の冷蔵庫内にはほぼレギュラーの位置付けで鎮座している」

 同書を読む限り、高級品よりは庶民的な食べ物への愛情の深さが伝わってくる。

 納豆をパックで食べ、ふりかけを使い、魚肉ソーセージを常備する。これなら誰でも真似はできるはずだ。そこに彼女がいないにしても。

デイリー新潮編集部

2019年11月22日掲載

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