ワンス・アポン・ア・タイム・イン・巨人軍(ジャイアンツ)第1回 さらば昭和の読売巨人軍
サブカルチャー化する巨人軍
例えば、昭和の原辰徳のポップフライはメインカルチャーだったが、近年の村田修一の芸術的ゲッツーはサブカルチャーである。日本全国のお茶の間でワリカンしていたブラウン管の向こう側のポップフライと、スマホの中で見るゲッツー。サラリーマンのおじさんが仕事から帰ってきて、テレビをつけて「なんだよ、また原はポップフライか」なんつってディスりながら、ビールを飲む風景はベタだけど圧倒的な大衆性があったのは確かだ。やはり月額2千円前後払って動画配信を契約して野球を見るのは、なかなかハードルが高い。
その昔、田舎のお爺ちゃんや渋谷のおネエちゃんでもゴジラ松井の存在は知っていただろう。けど、18年シーズンに史上最年少で3割30本100打点を達成した巨人の若き4番バッター岡本和真ですら、一般的にはほぼ無名である。80年代の原や江川のようにテレビCMで見かけることもゼロだ。勘違いしないでほしいが、岡本自身に原因があるわけではない。世界と戦う他スポーツの台頭はもちろん、プロ野球の立ち位置やメディアを含め、あらゆるシステムが変わったのだ。一昔前はベテランの名選手が現役最後を巨人で終えることがよくあったし、野球少年の最大の夢は「巨人の4番」だったが、今の子どもたちはナチュラルに大谷に憧れ、その先にあるメジャーリーグを目指している。長嶋や王、松井や由伸のような巨人発の国民的スーパースターは、今後よほどのことがない限り生まれることはないだろう。間違いなく、今のチームで最も世の中に顔と名前が知られているのは、80年代のスーパーアイドルで61歳の原監督である。
世の中では度々“野球離れ”という言葉を耳にする。要は週刊誌やタブロイド紙といった旧メディアで度々語られる“プロ野球離れ”のイメージは、“世間の巨人離れ”と同義語だと思う。もちろん球界にとっては、北海道や東北にもチームができて、12球団の人気や選手知名度がフラットになりつつある今の状況の方が健全だ。
だが、ソフィスティケートされた健全さを追い求めるうちに、気が付けば社会常識感覚で各チームの選手を知っている野球ファン中間層が減った。その中間層とは、一昔前は日本中に溢れていた“なんとなく巨人ファン”であり、今では球場から足が遠のいている“巨人難民”でもある。「ミスターが監督を辞めて興味を失くした」とか、「ゴジラ松井がいなくなってから見なくなった」みたいなきっかけで徐々にファンが減り、トドメは手軽にナイターを見られる環境の喪失。これは野球だけに限った現象ではないが、そんなメディアの細分化や娯楽の多様化が進む今だからこそ、数少ないみんなの共通言語の“地上波テレビ”はSNSでも盛り上がる。
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