「もう一度首里城を作り上げることが私たちの使命」焼失玉座制作の漆芸家が決意表明
版画のおかげで
復元の折にはまた、意外な逸品が力を発揮していた。1853年、米国のペリー提督は浦賀に来航する前、琉球に立ち寄って首里城を訪れているのだが、
「その時の模様を、提督に同行した版画師が描いていて『ペリー提督日本遠征記』という本にも収められています。その中に、北殿で催された宴会の様子を描いたものがあり、北殿内部を再現するのに大いに役立ちました」
とは、先の田名館長。その北殿では2000年の沖縄サミットでも各国首脳を招いた夕食会が催された。もてなしの場は、時代を超えて脈々と息づいてきたわけだ。
地元記者が言う。
「今回の焼失による被害額は、復元整備費から換算すると正殿が約33億円。北殿や南殿、事務所のあった奉神門は約21億円など、合計で約73億円。建物は火災保険に加入しており、そもそも修復は国費で賄われる見通しですが、一方で那覇市が受け付けている寄付金はすでに2億円を超えました。県は、22年5月の本土復帰50年までには再建計画をまとめたい意向です」
王朝時代の歴史考証をはじめ、修復の全体指揮を担った高良倉吉・琉球大学名誉教授(72)=琉球史=は、
「33年前とは違って図面も残され、資料も整備されている。県内の職人さんの技術も育っていて、情報面や人材面のストックはあの時よりはるかに大きい。再び城をつくるのは十分可能なはずです」
遠からず「令和版プロジェクトX」が始動するというのである。
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