高倉健の思い出が遺産総取りの養女に破壊される…愛車、家、水子地蔵までも!
「高倉健」実妹が嘆く「非情の相続人」の肉親排除(2/3)
高倉健と13年に養子縁組をし、その遺産を総取りした養女・小田貴月(たか)氏。この10月に上梓した彼女の手記『高倉健、その愛。』には、書かれていない謎が多い。養女以外の“身内”は列席を許されなかった健さん密葬について、健さんの実妹・森敏子さん(84)は「死に顔にも会わせてくれなかった」と悲しみ嘆く。
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加えて養女は、健さんが愛したはずのモノや場所の破壊に打って出る。フェラーリ・テスタロッサやマセラティなどの愛車コレクションやクルーザーを手放し、鎌倉霊園の墓地の年間管理費を滞納するようになった。健さん逝去時に所属事務所が出した公表文に倣えば、すべては〈故人の遺志〉というわけだ。
健さんがこの墓地を求めたのは1972年のこと。同じ東映で活躍した萬屋錦之介の熱心な勧めがあり、見に行ったら一遍で気に入った。正門から最も離れた小高い山の一区画の、約27平方メートルの四角い敷地で、敏子さんに対しても、「すごくいいところにあるから。鎌倉来たら連れて行く」と伝えていたほど。
墓地を購入した健さんは、離婚した江利チエミとの間の水子を祀る地蔵を置いた。
健さんのデビュー年にあたる56年の映画「恐怖の空中殺人」で2人は出会い、3年後にゴールイン。江利は身籠るが、妊娠高血圧症候群のために中絶を余儀なくされていた。
健さんがこだわって選んだ八光石でできた像は高さ1メートル。その奥には小さな墓石を建て、本名と役者名を組み合わせた「小田健史」の名ならびに「小田家先祖各霊菩提」と刻んでいた。
それからというもの、折に触れて健さんはここを訪ね、鎮魂を祈ってきた。だから、健さんが亡くなれば大きな墓石を置き、遺骨はここへ納骨される。そう誰もが信じて疑わなかったのだが……。
「ついにこの日が来てしまったか……」
と、健さんの信心深さを知る関係者一同が絶句したのは、2016年5月ごろのことだった。養女の意向で、鎌倉霊園の墓地から水子地蔵や墓石が撤去されて更地となったのだ。これと相前後し、健さんが愛し、そして養女も住み込んだ世田谷の豪邸の一部解体も始まっている。健さんと幾度となく墓地へ同道したことがある「チーム高倉」の一員は、
「やっぱり、残念というほかないですよ。お参りするところが、ないんだもん。とにかく健さんは信仰心の深かった人だから、切なく思っているだろうよ」
と週刊新潮に語り、肩を落とすばかりだった。
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