「愛子さまを天皇に」という無責任な“報道”を懸念される天皇陛下と雅子皇后

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「上皇陛下は愛子天皇を望んでいる」という作られたフェイクニュース

 女性天皇とその先の女系天皇を認めると考える人が、こんなことを言ったことがある。「皇統が別の男系に移っても、その天皇は母方の祖父が徳仁天皇(今上天皇)、曽祖父が明仁天皇(上皇陛下)の血が流れている“直系”だから、国民は親しみを感じるのではないか」と。だが、こうした直系に対する考え方が、皇位継承問題を混乱させている。確かに感情としてはわからないでもない。立派に成長された天皇陛下の直系の皇女である愛子さまがいらっしゃるのに、皇位を継げないのはおかわいそう――というわけだ。

 だが、日本の皇室は決して直系主義で繋がって来たわけではなく、何が何でも無理に自分の子どもに皇位を継がせようとしたわけではなかった。前出の新田均教授は「皇室は直系主義どころか、皇統に属してさえいれば何世代遡っても正統とみなしてきました。言い換えれば、兄弟や遠い親戚での継承を認める、傍系主義の考え方です。だから、親戚の誰かが男子を産んでくれればいいので、適当な数の宮家さえあれば皇后の精神的負担は軽くなるという側面もあったのです」と言う。男系主義は男子を産むことを皇后に強制し、過大な精神的負担を負わせるとの主張に対する反証でもある。

 このところ「愛子さまを天皇に」や「愛子さまへの天皇教育開始」などの見出しのついた記事を週刊誌などで見かける。中でもびっくりしたのは「上皇さまが愛子天皇を望んでおられる」とする宮内庁関係を名乗る人物の発言だ。こういうのをフェイクニュースと言うのだろう。上皇さまはご在位中、今上天皇と秋篠宮さま(皇嗣殿下)とともに毎月1回、いわゆる三者会談を続けてこられた。宮内庁の元幹部によると、上皇さまは、当時の皇太子さまと秋篠宮さまが互いに「協調」されることを何よりも望んでおられたという。その中には当然ながら、皇位継承に関するものも含まれていた。「よく二人で話し合うように」と話されることもあったという。そして、悠仁さまの教育や今後についても、常に気にかけていらしたという。そうした状況にあって、皇位継承権を持つ悠仁さまを、事実上、排斥するようなことを上皇さまが口にされるようなことはあり得ないのである。

皇統につながる旧皇族の家系に今上天皇の男系の血縁者がいるという事実

 皇位継承問題では、男系による皇位継承について「どのような方策があるか」は、あまり議論されてこなかった。とりわけ選択肢の一つである「旧皇族の子孫の皇籍復帰」に関しては、プライベートな領域に立ち入るのははばかられる、という雰囲気があったように思う。だが、国会決議に基づいて「安定的な皇位継承の確保」が議論されようとするのに合わせ、にわかにクローズアップされてきた。

 最初に旧皇族の皇籍離脱について触れておきたい。GHQの統制下にあった1947(昭和22)年5月、日本国憲法の施行によって皇室財産は基本的に国有化された。皇族費は新皇室典範によって国から支出されることになり、秩父宮家など昭和天皇の弟である三直宮にだけ費用が計上された。こうしたプレッシャーもあって、同年10月、北白川宮や閑院宮家、東久邇宮家など11宮家の男子皇族26人と女子皇族25人が皇籍を離れることになった。残ったのは天皇陛下(昭和天皇)の弟宮の秩父宮家、高松宮家、三笠宮家の三宮家だけになった。

 廃絶した11宮家は、室町時代(南北朝時代)から続く伏見宮家の男系子孫が創設したもので、伏見宮家は第102代の後花園天皇の男系子孫にあたる現在の皇室とは600年前に分岐した。

 こうした宮家の子孫の皇籍復帰論については、旧宮家が廃絶してから70年余りが経過していることや、現在の皇室との共通の祖先(天皇)が室町時代にまでさかのぼることで、「国民の理解が得られない」と否定的な意見がある。だが、そうやって一蹴してしまうことが果たして正しいのか。

 皇室の皇位継承は、先に触れたように「傍系主義」であり、歴代の系譜を見ると、遠い男系を呼び戻して皇位に就けた例も少なくない。例えば第25代武烈天皇は皇子がなかったため、越前にいた第15代応神の5世孫を探し出して天皇(継体天皇)として迎えた。男系が途切れそうになっても、我々の祖先はこうした最大限の努力をしてきた。

 11宮家については、明治天皇の4人の内親王が、竹田宮、北白川宮、朝香宮、東久邇宮の各宮家に嫁いでいる。しかも、旧東久邇宮家については、明治天皇の孫にあたる東久邇盛厚氏(故人)のように、戦後に皇籍を離れてから昭和天皇の長女で照宮内親王だった成子さん(故人)と皇族同士で結婚している。成子さんは上皇さまの姉にあたり、今上天皇の伯母にあたる。お二人の子孫には男系につながる若い未婚の男性が少なくとも数人はいらっしゃる。このように現在の皇室との血縁は驚くほど近いのだ。

 10月23日には自民党の国会議員による「日本の尊厳と国益を護る会」(代表幹事・青山繁晴参院議員)が男系による皇位継承の維持に向けた具体策を提示した。その中では旧宮家の子孫の男系男子に皇籍に、いくつかの方法で復帰していただくことも主張している。「国民の理解が得られない」と決めつけるのではなく、まずはあらゆる方策を探ることが大切なのではないか。実際に悠仁さまという若い男系の皇位継承者がいらっしゃる現実を考えても、男系を断ち切るのは万策尽きてからでも遅くはない。

椎谷哲夫(しいたに・てつお)
元宮内庁担当記者。1955年、宮崎県都城市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。新聞社で警視庁、宮内庁、警察庁、旧運輸省などを担当。米国コロラド州の地方紙で研修後、警視庁キャップ、社会部デスク、警察庁を担当。40代で早稲田大学大学院社会科学研究科修士課程修了。著書に『皇室入門』(幻冬舎新書)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年11月14日掲載

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