高倉健の実妹が悲しみ嘆く「元女優の養女の肉親排除」「奇怪な密葬」
〈口を噤んで〉
〈故人の遺志に従い、すでに近親者にて密葬を執り行いました〉
と所属事務所「高倉プロモーション」が公表したのは、14年11月18日のことだった。もっとも密葬は12日、東京・渋谷区内の代々幡斎場で営まれている。
プライベートは厚いベールに包まれ続けた健さんのことだから、その死が暫くのあいだ秘匿されたとしても不思議ではない。もっとも、死去の事実のみならず密葬の存在自体を、敏子さんはじめ血の繋がった親族が察知したのは、まさにその密葬中だったのだ。
彼らに代わって、密葬に列席を許された人物は、島谷能成・東宝社長、岡田裕介・東映会長、田中節夫・元警察庁長官、老川祥一・読売新聞グループ会長、そして今年物故した降旗康男監督の5名である。
煎じ詰めると、“身内”と呼べるのは、血の繋がらない養女ひとりだった。近親者と事務所が言う割には、健さんが弟分として可愛がった小林稔侍の名はない。話し相手となったり、幾台もの名車の管理をしてきた「チーム高倉」の男たちの名もない。逆に、過去の因縁から、健さんと絶縁状態だったはずの岡田会長は出席するという、何とも奇怪な密葬だった。
「死に顔にも会わせてくれなかったという事実があったわけです」
と、敏子さん。その後も遺骨との対面さえ叶わない血縁者に対し、養女側は弁護士を通じ、このようなメッセージを伝達している。
〈没後の処置について、すべて高倉の意向に従ったまでだ。密葬で済ませ、戒名は不要、四十九日をするつもりがなく、鎌倉霊園の墓地にも入らず、散骨することになる。すべて高倉本人の考えだ〉
〈自分は高倉が病気になってからほとんど寝ていない。高倉健とは生涯現役で、撮影現場以外の姿を見せてはならない存在である。小田剛一である前に、高倉健であった。自分はそれを守るためにたった1人で、発病以来、ずっと奮闘してきた。いや、高倉と交際して以来、ずっとそうだった。そしてそれをやり遂げた〉
〈亡くなってからも守るべきものとは、高倉のプライバシーである。避けなければいけないのは、養女という存在をスキャンダラスに暴露されることである。親族との確執があるとか、交際を興味本位に捉えられるのを避けなければならない。にもかかわらず、すでにそのような動きがある〉
〈高倉健を守るために自分は孤軍奮闘していることを理解してほしい。親族サイドから、おかしな話がマスコミに出回らないように口を噤んで頂きたい〉
敏子さんは当時のことを、
「私たちは何も外部に話していないのに、“口を噤んでくれ”と。そのような物言いは親にもされたことがありません。兄の死だけではなく、そんなこんなで本当に落ち込んでいる時に、東京にいるある方から、“霧は絶対晴れるからね。晴れない霧はないから”とメッセージを頂きました。その一言で立ち直ることができたのです」
そう振り返る。養女は、
〈今後、どうしてもということであれば、面談する機会を設けてもいい。ただ、体力的にきついので1時間程度で〉
などとも訴えたその口を半ば拭う恰好で、「週刊文春」誌上において、自身の存在を明かしている。“口を噤んで”発言のすぐ後、14年の年末のことで、今回の手記に連なるものだった。
(2)へつづく
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