“私って友達少ないかも…?”32歳独身女性が孤独に打ち勝とうともがいて得た「気づき」
「ワガママ」と「正しい甘え方」を混同していた
また、最近は自分より10歳以上年上の40〜50代の友達(と呼ばせていただいてもいいのか恐れ多いが)が急に増えた。もともと、年上の人と一緒にいるほうが居心地が良い。自己分析をしてみると、これは幼い頃の体験に起因する。
小学校の登校班で班長の優しい小6のお姉さんが大好きだった。小1の私と違い、二次性徴のため、お姉さんには私にはない胸の膨らみがあった。ある日、班長のお姉さんが名札にドラえもんのシールをつけていた。「そのシール見せて」と言って私はシールを見るふりをしてお姉さんの胸に名札越しにさりげなく触れた。私もこのお姉さんのような体つきになるのだろうか。記号としての女性を初めて意識した瞬間だった。
私は一人っ子のため、人からワガママだと思われるのが物心ついたときからとても嫌だった。だから、地団駄を踏んで何かをねだった覚えがない。欲しいものがあってもじっと我慢するか、何かの偶然で買ってもらえるまで待っていた。
今思い出した。スーパーのレジの奥の、商品を袋に詰める台の上に置いてあったガチャガチャ形式のガム。カラフルなまぁるい玉がとても綺麗でいつも見とれていた。あれを食べてみたかった。どんな甘い味がするのだろうかと想像していた。
ワガママになってはいけない。ねだることができなかった。おそらく値段は当時10円前後だったと思う。我が家は特別貧しくはないし、むしろ地元では中の上にあたる暮らしをしていた。だから、経済的な理由で買ってもらえないことはないが、ただじっと見つめていた。
母は購入した商品をせわしなくレジ袋に詰める作業で私がガムのガチャガチャを見つめていることには気づかない。そして、全ての商品を詰め終え、レジ袋をひっつかんで店を出ていく母を慌てて追いかけた。未だにあの丸いガムを食べたことはないが、おそらくケミカルでアメリカンな味のガムだと思う。
ワガママと、人に良い意味で甘えることは違う。しかし、私はこれらを混同して育ち、正しい甘え方を知らないまま大人になってしまった。ワガママはただ、特別な理由もなく自分の要求を押し付けるだけの一方通行な主張だ。私は恋愛においてこのワガママを使ってしまう傾向があり、うまくいかないことが多い。
作家の大泉りかさんの発案で、定期的にアラフォー女性がりかさん宅に食べ物やドリンクを持ち寄り「デンデラ女子会」なる飲み会を開催している。家庭がある方もいるので、たいてい1カ月以上前にみんなの都合を聞いて告知されることが多い。この会のメンバーはほとんどが仕事関係で知り合った方ばかりだ。アラフォー友達が増えたのは、私がライターとして活動し、それなりに交友関係が広がったのも理由の1つだろう。
この中で私は最年少。少し頓珍漢だったり若さゆえの誤った考えを口にしてしまっても、若いからという理由で許され、そして優しく正しい道へ案内してもらえる。アラフォーの先輩たちに私は甘えているのだ。
今は自由奔放に遊べる同年代の友達や甘えられるアラフォー友達がいるが、今後自分の状況が変わったらどうなるのだろう。もし、私が結婚したら家庭の事情を優先しなければならないこともあるだろう。また、結婚しなくても周りがほとんど既婚者になったり子どもができると、気軽に遊びに誘えない。歳を重ねるたび、友達が減っていくのは寂しい。しかし、そこを工夫して息抜きをしないと孤独という病に侵されてしまう。
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