今田耕司がまた“ジャッカル”! チュート徳井の代役で「今夜比べてみました」MCに

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僕は時代に選ばれてない

 それにしても、すでに10本ものレギュラー(特番は含まず)を抱える今田に、さらに代役を求めるとは頼りすぎではないか。

「それほど安定感が違うんですよ。今田さんは、“仕切らせたら右に出る者はいない”と言われるほど芸人仲間たちから一目も二目も置かれる存在ですし、吉本新喜劇では座長を務めたこともありますからね。もともと今田さんは、ダウンタウンがMCを務めた関西ローカルのバラエティ『4時ですよーだ』(87~89年、毎日放送)に出演して、いわゆる“ダウンタウンファミリー”の一員となりました。東京に進出したダウンタウンの後を追って90年に上京。『ダウンタウンのごっつええ感じ』(91~97年、フジテレビ)に出演し、知名度を上げ、93年には中山秀征(52)とMCを務めたお色気バラエティ『殿様のフェロモン』(フジテレビ)で全国区に。当時、中山さんとは犬猿の仲だったとはよく言われましたね。東京のタレントには絶対負けないという気持ちが強く、有名になりたいという意気込みが一因とか」(同・民放プロデューサー)

 95年に初の冠番組「今田耕司のシブヤ系うらりんご」(フジテレビ)を持ってからは、続々とレギュラーが決まるようになるが、余りに増えすぎて“飽和状態”となったこともあった。

「さすがに、“他に誰かいないの?”という状況にもなりました。そこから、くりぃむしちゅーやさまぁ~ず、雨上がり決死隊、ネプチューンらがMCを務めるようになった歴史もあります。しかし、『アメトーーク!』(テレに朝日)のゲストに今田さんが出演した後、楽屋で雨上がり決死隊の2人が『俺らまだまだやで』と反省したという話もある。やはり、紳助さんの代役は今田さんしかできないと再認識されて、今に繋がっているようですね。そんな今田さんをダウンタウンの松本さんが、『生涯で稼ぐ額は俺より今田のほうが多いと思う』と語ったことがありましたが、MCの番組をこれだけ持てば、確かにそうなのかもしれません」(同・民放プロデューサー)

 実際、本人はどう考えているのだろうか。番組では自分のことを語りたがらない今田だが、自身がカメラマンを務めた写真集『今田耕司が撮った13人のオンナ』(光文社)の巻末インタビューでこう答えている。

――自分を前面に押し出すタイプの司会者と、自身を比べて、

今田:僕はそれないですね。押しつけるのが嫌いなんですよ。司会もそうやし、夜の方でも。相手の反応を見て、これぐらいは喜ぶな、ここまでいくと嫌がるな、ってことには敏感やと思います。だから相手によって、強弱をつけるのは常にやっていますね。

――自身のターニングポイントは?

今田:そりゃあ、いっぱいありますよ。新喜劇に入ったこと、ダウンタウンさんと離れて自分らで深夜番組をやらせてもらったこと、あとはやっぱり、紳助さんが引退されたときですね。司会を引き継いだ『開運!なんでも鑑定団』だけやなく、もし紳助さんが引退されてなかったら、今のようにはなっていなかったかもしれない。

――だが、自分のことは“記録に残らないタレント”と言う。さらに、多くの番組のMCをやっていても、“地味”だとも言う。

今田:司会をやるのと、自分の冠番組を持つのは、根本的に違うんですよ。冠番組は、カリスマ性というか、時代に選ばれた人が持つもんで。僕は時代に選ばれてないですから。言うたら僕、一度でも売れた覚えないですもん。ブレイクしたことない。なのに今このポジションで仕事いただいている。

 この謙虚さも、安心して仕事を任せられる要因かも。徳井の代役となっても、番組タイトルが「今田耕司の今夜くらべてみました」にはなりそうもない。

週刊新潮WEB取材班

2019年11月7日掲載

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