馬淵澄夫はなぜ山本太郎と勉強会を立ち上げたのか 警戒する立憲民主が妨害?
ボディビルは趣味。その鍛えられた肉体は、映画「ターミネーター」主演のアーノルド・シュワルツェネッガーのようだと永田町でネタになったほど。民主党政権時代に国交相だったが、尖閣諸島の中国漁船衝突映像流出事件の責任をとり辞任。会見では「I'll be back(私は戻ってくる)」と映画のセリフそのままを残して去った。その後、党代表選に出馬するなど復活したが、2017年の総選挙では希望の党の合流騒動に巻き込まれ落選してしまう。
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ただ、そんなことで終わらない。今春現職が辞職することになり何と比例で繰り上げ当選。苦境に陥っても、必ず戻ってくる――それが馬淵澄夫衆議院議員だ。
じつはその馬淵氏こそが、なかなか前へ進まない野党結集のいまや重要なキーマンなのである。タッグを組んでいるのが参院選で200万票以上の票を掘り起こしたれいわ新選組の山本太郎代表。山本氏はいま馬淵氏を「兄貴のように」(馬淵氏周辺)慕っているという。
馬淵氏は、民進党時代は選対委員長など党務で力を発揮した。復帰後、そうした力量を買う立憲民主党の枝野幸男代表や国民民主党の玉木雄一郎代表などは入党を持ちかけた。にもかかわらず、馬淵氏は断り無所属を貫いている。その真意は野党結集のためにはその立場の方が誰にでも対等に会えて動きやすいからだ。馬淵氏は私に明かした。
「永田町に戻ってきて、想像以上に野党のバラバラ感が大変なものだなと。たとえば採決でも微妙に違うんですよね、国民と立憲は。こんなことをやっていたら、自民党を利するだけ。無所属というポジションでいようと思ったのはどの政党にも等距離で野党間の結集の核になれるからです」
その馬淵氏が、最も重要だと仕掛けているのが結集のための政策の柱。たくさん必要はない。いくつかが合致すればそれで十分だという。その一つが、10月30日に発足した「消費税減税研究会」だ。馬淵氏の「減税」へのこだわりは半端ではない。
「私は2010年から増税に反対して来ました。民主党政権時代、菅直人元総理退陣後の党代表選に出たときからデフレ下での増税は絶対にダメだと訴えてきた。デフレ脱却議連も率いて、日銀法改正で日銀に私案を申し入れに行ったりもした。民主党政権が終わって下野し民進党になったあとも代表選に必ず出るぞと減税政策を磨いてきました」
馬淵氏はその後論文も書き、17年総選挙では個人で独自にマニフェストとして掲げた。今回、この「減税」を野党結集の際の基本政策にできると研究会を発足させたのだ。
「減税論文は1年半かけて有識者や若手官僚などと一緒に研究して作りました。消費税を下げ、減税分の財源確保は所得税や資産課税の見直しなどをミックスする。アベノミクスに真正面から対抗できるし、国民の支持、生活者の支持を得られる。これを野党結集の目玉政策にできます」
ただ、その研究会は共催者がいる。野党結集のシナリオの中で大きな存在感を示している山本氏だ。馬淵氏は2人で組んだ狙いや山本氏の存在についてこう話した。
「野党結集にはいろいろな役目を果たす人がいる。自分もその一人として果たさなければならないが、もう一人挙げるなら山本代表です。野党結集のためには誰をリーダーにするかも大事だが、それ以外にも発信力やインパクトがあって世論を動かすような役回りが絶対に必要。山本さんの発信力や参院選で200万票以上を取ってきた力は凄い。この人を野党連立に取り込まないといけない。放っておいたら自民党に手を突っ込まれてしまう。彼をグリップするためにあえて減税研究会は一緒に立ち上げた。彼もまた減税政策をやるべきという考えですから」
一方の山本氏だが、参院選公示日前日に、私との一対一の取材にこう語った。
「私は与野党の持っているパイを削りに行こうという気はさらさらない。やろうと思っているのは、いま政治に関心を持ってない人たちの浮動票に対して語りかけたい。小沢一郎さんや同じ会派だった国民民主党の幹部に、私にそれをやらせてくださいと言いました」
そして、あくまでも目指すのは野党結集だ、と私に断言していた。
「(参院選で)野党がまとまって大きな受け皿となれるなら、(れいわは)やる必要がないと思っていましたが、できなかったから行動した。いまの政治に足りないものは緊張感。野党側がもっとガチンコで喧嘩するという姿勢を見せるしかない。私は体を張って、掘り起こした票と共に外側から野党みんなの尻を叩いて党結集の起爆剤になります」
じつは馬淵氏の復帰後山本氏はその下を訪ね、総選挙や野党結集などで意見交換を求めてきたという。そのときの山本氏は「経験のある馬淵さんにいろいろ教えて欲しい」と謙虚で、逆に山本氏の存在感が必要と考えていた馬淵氏も「じゃあいろいろやって行こう」と意気投合したという。参院選後、週に1~2回のペースで会っているようだ。
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