織田信成激白! “関大の女帝”の「恫喝」と「嘘」と「無視」でうつ状態に追い詰められ…
“うつ”状態に
それでも織田は改革を諦めなかった。現場に復帰すると、今度は「部則」の改定に乗り出す。というのも、「関大の体育会で学業不振によるペナルティがないのはスケート部だけ。そこにメスを入れようとしたのです」(先の関大関係者)。
具体的には〈前学期に成績不良だった学生は1カ月間、特別枠での練習を禁止する〉ルールを組み込むことを計画したようだ。織田もその点は認めている。
「ただ、特別枠以外の時間帯は練習もできるし、試合への出場が制限されることもない。それなのに、この動きが濱田先生の耳に入ると嫌がらせはエスカレートした。関大関係者との会議でも僕の意見は濱田先生から頭ごなしに全否定されています。濱田先生のあまりの剣幕に、同席した関係者が“あそこまで言われては織田監督が心配だ”と顧問に声をかけたほどでした」
度重なるハラスメントの末、ついに織田は“うつ”状態に陥ってしまう。
「6月に入ると耳鳴りがやまず、眩暈(めまい)や吐き気に襲われ、“リンクに行きたくない”と思うようになった。それからの3カ月間は一度もリンクに足を運べませんでした。その間にも濱田先生は“織田君が私を辞めさせようとしている”という全くのデマを関係者に流していたと聞きます」
こうした状況を知ってもらうため、織田は7月1日に弁護士を伴って学長と話し合いの場を設けている。耐え難いハラスメントについて涙ながらに訴えたが、
「学長は“そういうことなら喧嘩両成敗。2人とも辞めてもらうことになると思う”と言う。これには本当に傷つきました。なぜ、大学の文武両道の方針に則って部を変えようとした僕が辞めなくてはならないのか。その後に濱田先生にもヒアリングをしたそうですが、2カ月待っても僕には何の報告もなかった。それで辞任を決断したのです」
[2/3ページ]