織田信成が明かす監督辞任劇の舞台裏 「僕は“関大の女帝”に排除された」
多忙説を否定
そもそも、織田が歴史ある強豪スケート部の監督に就任したのは2017年4月のことだった。
13年に現役を退いた織田は、プロスケーターとして全国各地のアイスショーに出演し、テレビのレギュラー番組も抱えていたが、〈在学時代からつながりの深い芝井敬司学長からの「ぜひ頑張っていただきたい」という言葉に後押しされ〉(関大HPより)、一度は断った監督を引き受けている。
就任会見では〈ゆるーい監督を目指しながらも世界に羽ばたく部にしたい〉と“織田節”で抱負を語った。
だが、それから2年半後の今年9月9日、事態は意外な展開を見せる。関大が突如として「織田監督の退任」を発表したのである。
運動部記者によれば、
「あれだけ大々的に監督就任をアピールしていたのに、後任が“未定”のまま退任ですから奇妙に感じましたよ。しかも、一部の新聞で退任は織田の“多忙が理由”と報じられると、今度は織田自身がブログで反論。本当の理由は〈嫌がらせやモラハラ行為〉だったと暴露したわけです」
多忙を理由に監督を辞任したという指摘については、織田本人も改めて否定する。
「僕は行ける時には週6日ほどリンクに顔を出していました。まだアイスショーにも出ていますが、自分の練習が終わった後には夜遅くまで選手の指導をしていた。大学側に毎月提出する指導実績表を確認してもらえれば一目瞭然です」
その上で、不可解な辞任劇の真相は、先の濱田コーチからの嫌がらせにあったと明言するのだった。
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