台風犠牲者「名前は非公表」の是非 二階発言のイヤな感じ

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思考停止

 片や、災害時の犠牲者公表に法的な定めはなく、対応に苦慮することを嫌ってか、全国知事会は国に明確な基準を作るよう求めている。そんな中、今回は岩手、宮城、栃木、長野の4県が、少数派ながら公表に踏み切った。

 その一つ、宮城県の危機対策課はこう話す。

「災害では身元不明者がたくさん出るので、捜索する方に混乱を招かないよう、また安否を気遣う親族や関係者の方の心配を解消する目的から、東日本大震災の時と同じく、今回も実名を公表しています」

 長野県の危機管理防災課も、

「ご遺族の同意がなければ公表はしませんが、社会的関心の高さや捜索活動に有効であることを説明したところ、ほとんどの方の同意を得ることができました」

 と言う。実名発表の意義を各々がどう考えたか。あえて言えば、非公表を決めた自治体はプライバシー保護の名の下に他人任せで思考停止に陥り、大局を見失ってはいないか。

「遺族の気持ちを無視してよいと言うつもりはありませんが、自然災害はプライベートな事柄ではなく、公共の重大な関心事。それが匿名発表になれば、今後の災害対策を考える上で危険です」

 と警鐘を鳴らすのは、メディア法に詳しい早稲田大学非常勤講師の田島泰彦氏である。

「亡くなった方の実名、性別、年齢が共有されれば、どのような原因で亡くなったかをより詳しく検証でき、避難方法を再考しやすくなる。匿名が通例化すれば、被害の詳細を報道機関も把握できませんから、検証すらできなくなります」

 加えて、田島氏はこんな懸念を口にする。

「犠牲者の数だけ公表することが通例となれば、亡くなった人の人生に思いを馳せることもできない。自民党・二階幹事長の『まずまず』発言の背景には、死者を数字だけで捉える風潮があると思います」

 悼むべき人の死が「記号」となって風化すれば、何も教訓に活かせず、「モンスター台風」襲来のたび、人々の絆は切り裂かれてしまうのではあるまいか。

週刊新潮 2019年10月31日号掲載

特集「『モンスター台風』が切り裂いた人間模様」より

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