即位の礼パレード延期は美智子さまの強いご意向…令和流が霞む「二重権威」の懸念

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国事行為といえど…

 実際に“早朝6時のニュース”“比較できる災害のご記憶がなく”といったフレーズからは、並々ならぬご心痛が窺えるのだが、前出記者によれば、

「皇室ではこれまでも、災害などで慶事を延期することはしばしばありました。2004年11月に予定されていた紀宮さま(当時)と黒田慶樹さんとの婚約内定発表は、新潟県中越地震と高松宮家の喜久子妃の薨去で2度延期されています。また一昨年も、秋篠宮家の眞子さまと小室圭さんの会見が、九州北部豪雨のため2カ月後に延期されています」

 そうした前例に倣えば、内外から多くの招待客を迎えるとはいえ、今回も繰り延べすべき事態だったというわけだ。

「かつて上皇さまとお二人であらゆる被災地を訪れ、被災者に寄り添ってこられた上皇后さまからすれば、祝いごとの中止は当然で、かりにご自身の代であれば直ちに被災地へ駆けつけられていても不思議ではありません。一方で、そんな“平成流”を知る職員からは、パレードをこのまま行えば、今上陛下が上皇さまと比較されてしまわれないか……そう危惧する声も上がっていたのです」(前出関係者)

 宮内庁の動きは素早く、15日に美智子さまの“ご心痛”を詳細に発表するにあたり、実は前日から延期への準備が始まっていた。警備を担う警視庁には、すでに15日夕刻の時点で「11月10日に延期」との方針が伝えられていたという。先のデスクが言う。

「17日の正午前、NHKが『延期の方向で調整』との速報を流し、まもなく各社が『11月10日に延期』と報じ始めます。菅官房長官はこの日午後の会見で『宮内庁と相談し、あくまで内閣として判断した』と述べていましたが、実際は宮内庁に押し切られた格好。現に官邸では『一連の行事と一体のもので、誰もが楽しみにしている行事だから』と、予定通りの開催に前向きな幹部もいたのです」

 平成の時代、安倍官邸と宮内庁との間には、しばしば“すきま風”が吹いていた。それは16年7月、上皇さまの「生前退位」を巡る報道で頂点に達する。宮内庁によって脇に追いやられた官邸は、意趣返しに当時の宮内庁長官を更迭するという挙に出たのだった。

「祝賀パレードもまた、即位礼正殿の儀や饗宴の儀とともに、国事行為である『即位の礼』の一部です。行為の主体は陛下ですが、憲法には『内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ』とある。それでも今回は両陛下、ひいては美智子さまの強いご意思であり、その通りに進めるほかありませんでした」(同)

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