顔写真の瞳に映った景色から自宅特定「デジタルストーカー事件」に見るSNSの恐ろしさ

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諸行無常

「それにしても、人間の欲望や本性を解放してしまったSNSは恐ろしい」

 そう慨嘆する評論家の唐沢俊一氏が例に挙げるのは、先月起こった「デジタルストーカー事件」。犯人は、SNSに投稿された被害者の顔写真から、その瞳に映る景色を手掛かりに自宅を割り出した。被害者はそんな目に遭うとは想像だにしなかっただろうが、

「徹底的に調べ上げるのが好きな人は昔からいます。40年ほど前、アニメファンが集まる喫茶店に客が書き込める連絡ノートがあった。そこである女性客に片思いをしていた男性客はノートに書かれた個人情報を分析し、彼女の住所や家族構成、生理の周期まで割り出してしまった。SNSはそうした人にとって格好の場所になっています」

 作家の適菜収氏は、

「SNSで世界中の人と繋がることで、様々な考え方を知って視野が広がるでしょうか。答えは否です」

 と断言して、こう語る。

「結局、SNSというのは自分に似た意見の人を探し求め、自分と考えの似た人が自然と集まってしまう場所なのです。だからこそその“集まり”の考えが一般常識と乖離しても気が付かない。周りが注意しても聞く耳を持たず、しまいには陰謀論を語り始める。過去を振り返れば“連合赤軍”や“オウム真理教”も似たような感じだと思います」

 07年、帰宅途中だった名古屋市の31歳の会社員、磯谷(いそがい)利恵さんが初対面の男3人に拉致され、殺された。犯人の男らを結びつけたのは、ネット上の「闇の職業安定所」なるサイトだった。

「犯罪者の感覚を鈍らせて、罪を犯しているという意識を希薄にさせるのがネットやSNS。ネットの中というのは、犯罪が目の前に転がっていて、誰が拾うか分からないような状態だと考えるべきです」

 殺された磯谷さんの母、磯谷富美子さんはそう語る。

「娘の事件でもっと厳しい刑罰が下されていたらネット事件の増加を抑えられたのではないかと悔やんでいます。一審の名古屋地裁ではネット犯罪の危険性が認められましたが、二審の名古屋高裁では“過度に強調して厳罰で臨むのは相当ではない”とされ、一審で死刑判決を下された犯人の一人、堀慶末(よしとも)が無期懲役に減刑されたのです。ネット犯罪が増加している現状を考えると、二審のこの判断は見当違いだと分かります」

 確かにSNSの利便性に慣れれば、容易には手放し難くなる。が、なければないで生活に困るものではあるまい。しかも使い方次第では命の危険と隣り合わせと言えよう。

 養老孟司氏は『遺言。』(新潮新書)の中で、

〈デジタルとは、2進法、ゼロと1とで、すべてが記述されることである〉

〈芸術はゼロと1との間に存在している〉

 と、指摘している。

 人間も本来、ゼロと1との間に存在しているはずで、人の世は諸行無常、移ろいゆくものである。果たしてSNSでの人間関係は、諸行無常と言えるだろうか。

週刊新潮 2019年10月24日号掲載

特集「すばらしきかな『スマホ社会』!? SNSがなければ『失われなかった命』」より

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