顔写真の瞳に映った景色から自宅特定「デジタルストーカー事件」に見るSNSの恐ろしさ

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SNSがなければ「失われなかった命」(2/2)

 2017年の座間9遺体事件で、犯人の男はツイッター上で自殺願望のある女性らを探しだし、殺害に及んでいた。スマホの普及と共に、近年、SNSが舞台装置となる犯罪は増加の傾向にある。

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「事件全般をみると、その起点となるものは、出会い系などのサイトからSNSへと移行しつつあります。出会い系サイトに起因する事犯の被害児童の数も03年には1278人だったが、17年には29人にまで減りました」(警察庁関係者)

 掲載の表にもある通り、ネット犯罪の先駆けとされるのは、1993年10月、パソコン通信のネットワークを使ってわいせつビデオを販売していた男が京都府警に逮捕された事件である。しかし、この頃の「ネット」はインターネットではなく「パソコン通信」。インターネットのサイトなどが犯罪に関係するようになるのは90年代後半に入ってからで、98年には自殺志願者が開設したサイトに参加していた男がうつ病女性に青酸カリを送付し、双方が自殺するという事件が起こっている。男は「ドクター・キリコ」の名で件のサイトに参加していた。

『ルポ 平成ネット犯罪』などの著書もあるジャーナリストの渋井哲也氏はこう話す。

「この時期はまだインターネット黎明期。『ドクター・キリコ事件』により、文字さえ打てれば誰でもネットで知らない人と交流でき、少しの知識があればどんな人でもサイトを作れるということが周知されました」

 99年にはネット上の巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」が開設された。00年に「西鉄バスジャック事件」を引き起こした当時17歳の少年は、「ネオむぎ茶」と名乗って「2ちゃんねる」に犯行予告めいた書き込みをしていた。

「『ドクター・キリコ事件』も『西鉄バスジャック事件』も現実世界ではネットユーザー同士は会っていない。この頃は、リアルな世界でネットユーザー同士が会うには今と比べて“壁”があったのです」

 と、渋井氏は言う。

「その“壁”を取り払ったのが、01年5月に起こった『京都メル友連続殺人事件』。もちろんこれ以前にもネットユーザー同士が“出会い”を求めて現実世界で会うことはありましたが、殺人事件になったのはこれが初めてでした」

「出会い系サイト規制法」が施行されたのは03年。サイトを巡る事件が相次いだことで国が規制に乗り出したわけだが、

「04年に『ミクシィ』や『グリー』といったSNSが登場すると、出会い系サイトはみるみるうちに衰退しました。出会い系サイトは基本的に登録料金が必要ですが、SNSなら無料で女性に声をかけ放題なわけですから、人がそちらに移行するのは当然です」(同)

 しかし、その「ミクシィ」や「グリー」の全盛期も長くは続かなかった。

「09年に『青少年ネット規制法』が施行され、『ミクシィ』や『グリー』といったそれまでのSNSは規制の対象となったのです。また、08年にはツイッターやフェイスブックの日本語版がサービスを開始しており、ネットユーザーたちは徐々にそちらに移行していった」(同)

 無論、新たなSNSが流行れば、当然、それを巡る事件は増える。13年の「広島LINE殺人事件」や17年の「座間9遺体事件」は“スマホ時代”を象徴する事件と言えるだろう。

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