中家徹(JA全中 会長)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】
協同組合の哲学
佐藤 新しく農村に入ってきている人たちもいますよね。
中家 ええ。田園回帰というのか、田舎暮らしを希望する方も結構多いようです。
佐藤 問題はそこに定住するか、ですね。
中家 そう。農業を生業にして定着するかどうかは、農業だけの問題ではない。定住の条件は、医療であったり教育であったりする。だからそういう環境も整備していかないと田舎に来てもらえない。
佐藤 それにはJA全中の役割が大きいですね。JA全中は農協の中のハブ的な存在です。全国に600余りの農協があり、1千万人以上の組合員がいる。農協の神経系統として全国的なネットワークを作ってきた。それが今度、社団法人化するんですね。
中家 9月30日から一般社団法人になります。政府と与党による農業改革案が取りまとめられ、政府から提言もありましたが、基本的にはJAの自主性に任されることになり、自己改革に取り組んでいます。ただ2016年の改正農協法の施行により中央会は組織変更し、それに伴って地域農協への監査・指導の権限はなくなりました。それは仕方のないことですが、代表機能、総合調整機能、経営相談機能などは変わらずあって、これらは今以上にしっかりやらなければならない、そう思っています。
佐藤 JA全中の哲学ってあると思うんです。『法の精神』で有名なモンテスキューという思想家がいますね。『法の精神』は岩波文庫だと3冊あってみんな全部は読まない。でもおしまいの3巻目が重要で、そこに協同組合の重要性が説いてある。民主主義というのは単なる国家機関の権力分立では無理で、国家でも個人でもない中間団体が重要なんだと。それはまさに農協のことだし、教会や職業集団(ギルド)のことです。
中家 協同組合は人的結合体って言われますが、ほんと、そこが大事で、職員と組合員が接点を持って、全中があってよかったと思われるようにならないといけないんです。
佐藤 先ほど久米島の話を出しましたが、久米島高校の危機ということもあったんです。人数が集まらず園芸科を潰すという話になった。でも今の町長も町の幹部の多くも園芸科出身なんです。園芸科抜きの久米島はあり得ない、と私にも連絡が来た。とにかく園芸科をきちんと存続させようということになり、町営の塾を作ったり寮を作ったりして、島外からも子供たちが来られるようにした。さらに東工大や早大を出た教育指導員を連れてきて、教育態勢を整えたんです。その結果、人数を確保できて、本土から多くの生徒が園芸科を志望して来るようになった。インフラをきちんと整備すれば、地元の創意工夫で活性化するんですね。これを経済合理主義だけで追求していったら、極端な話、東京以外いらないということになる。
中家 JAとしては“地域に根ざした”という文言が基本理念としてありますから、そこはどんなことがあっても守らないといけない。それにしても、国土の均衡ある発展とか、四全総(第四次全国総合開発計画)とか色々言われてきましたが、いっこうに東京一極集中は止まらないですね。
佐藤 だからJAの皆さんは、自分たちの家は自分たちで守らなきゃいけないということが骨身にしみていると思うんです。TPPにしてもアメリカとの関係が重要だから絶対入ると言っていたのが、そのアメリカが飛び出した。国際情勢はそのくらい動きやすいんです。あのとき、政府の言うようにやりましょうとなっていたら、いまより大きな傷を負ったと思います。
僕が懸念しているのは、官僚とかマクロ経済の専門家が、収支のバランスは国家経済全体で取ればいい、と考えていることです。自動車の方でアメリカに譲らせる代わりに農作物は日本が譲ろうと言う。そんな駒にされたらかなわないですよね。それで食の安全保障をやれと言ってもできるわけがない。
中家 政府は農業を成長産業化するということで、輸出政策をものすごく前面に出してきます。農林水産物の輸出は今9千億円、1兆円間近で、これはこれでとても大事なことだと思っています。ただ輸入はその10倍ですよ。
佐藤 スーパーに行ったら、ブドウが地球の裏側から来ていました。
中家 国内市場のパイが狭まっているんです。悪循環ですよ、これは。このところ日本は災害が多い。すると野菜の値段が暴騰したり、品不足になる。そこで業者は海外から求める。それも単年じゃなくて複数年の契約をする。そうすると翌年は国内生産分が溢れて、需給バランスが崩れ、値崩れする。それをくり返しているうち、国内需要のパイがどんどん狭くなり、日本の農家が弱くなってしまう。だから国内の需要を取り戻さないといけないんですよ。それにはやっぱりもっと国産のものを食べていただくのが一番です。
いいエゴイズム
中家 欧米、特にヨーロッパでは農業への認識が全く違います。少々高くても国産品を買うことが定着している。農業は社会資本であって、それは国民全体が負担するものと考えているからなんですね。だからそれなりの予算的な処置は必要だと思います。でもそう言うと、農業は過保護だ、という話が出てきます。
佐藤 過保護だという批判は、やっぱり金銭でしかものを見ていない価値観ですよね。
中家 決して過保護ではないと思います。ヨーロッパは、農業へのお金のかけ方はものすごいですよ。
佐藤 だから今、JAにとって重要なのは「エゴイズム」だと思います。エゴイズムには、自分一人が儲かればいいというエゴイズムと、私にも隣の人にも利益があるという集団的エゴイズムと両方ある。この集合的なエゴイズムを無視したら、人間社会は成り立たないと思うんですよ。
老後資金2千万円問題が世間を騒がせましたが、農業者だって国民年金だけでやれと言われても、どうやって生活していくのか。そこにはJA全中の機能が必要です。年金問題一つとってみても自分たちで制度設計しないと生き残れない。だから農業者のエゴ、JAのエゴという批判は気にしなくていいですよ。
中家 やはり農業は経済優先ではなく、異なる物差しで測っていかないとダメなんだと思います。
佐藤 教育に対して国がお金をかけることには誰も過保護とは言わないわけでしょう。教育も、効率だけ追求するんだったら、お金をかけて教員を養成するより、教育指導員みたいな人を置いてiPadか何かを使ってネットで授業をやった方がいいかもしれない。しかし対面でやっておかないと目に見えない部分で問題が出てくることがあるわけです。教育と農業ってすごく似ていると思う。農協は学校で、農業系企業は予備校ですよ。
中家 教育といえば、農業の中には教育的な機能がものすごくありますよ。作物を育てることで、一種の情操教育になるし、いじめ対策なんかにも役に立っています。
佐藤 食育は下の学年ほどしっかりしているんですけどね。保育園や幼稚園、小学校の低学年では、自分たちで植物を育てたり、料理をしたりする食育がある。でも高学年になると少なくなって、中学・高校となれば、農業について考える機会はほとんどなくなる。大学に入ったら、専門にしている人以外はまったく無縁な「消費者」です。
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