続・医師が目指すべき「自立」した「プロフェッショナル」:キャリアもスキルも磨く「兼業」のススメ 医療崩壊()
前回、「プロフェッショナル」としての医師の在り方を解説した(2019年9月9日『医師が目指すべき「自立」した「プロフェッショナル」』)。
今回は、「プロフェッショナル」となるための、医療現場での試行錯誤をご紹介しよう。
まずは、「プロフェッショナル」のおさらいだ。前回の繰り返しになるが、私が重視する「プロフェッショナル」の要件は、顧客(医師の場合は患者)の利益を最大限に優先すること、顧客から報酬を受け取ること(医療の場合、健康保険が患者の代理人)、そして自己規律を持つことだ。要は組織のためではなく、顧客のために働くことだ。
このようなことが可能なのは、「プロフェッショナル」は1人でも仕事ができるからだ。財産は頭の中の知識とスキル、さらにこれまでに培ってきたネットワークだけだ。どこでどのように働くかは自分で決めることができる。
この点から見ると、勤務医や研究医は「プロフェッショナル」とは言いがたい。給与は病院や大学から貰い、勤務先は医局が決める。患者の利益より、組織の都合を優先することもでてくる。このような体質こそが、強制不妊手術、ハンセン病差別、さらに第2次世界大戦中の人体実験を引き起こした。
どうすれば、現在の日本で「プロフェッショナル」の医師になれるだろう。筆者自身、試行錯誤を繰り返している。我々の取り組みをご紹介したい。
「個人事業主」の強み
私は内科医だ。2005年に東京大学医科学研究所に研究部門を立ち上げていただき、2016年3月まで特任教授として在籍した。思うところがあり、2016年4月に独立し、現在は70名程度の「同志」と共に働いている。
やっていることは、東京大学時代と変わらない。研究・教育は医療ガバナンス研究所、診療は「ナビタスクリニック」(我々のグループが経営する駅ナカクリニック)や福島・仙台などの病院で従事し、中国・ネパール・英国などと共同研究を進めている。
活動資金として、公的研究費や補助金に頼らず、自前の資金で研究や教育活動を進めている。生産性を上げるために、いかに効率よく働くか考えている。小規模な集団だから、定期的な会議を開く必要はない。連絡はフェイスブックメッセンジャーやメールで行う。思い立てばすぐに行動すればいい。
私たちがこのような働き方ができるのは、我々が医師だからだ。私は47歳の時に独立したが、若手医師でも独立は可能と考えている。「個人事業主」として複数の病院で勤務すればいい。雇用形態は非常勤で構わない。
非常勤勤務の医師の場合、医局会や厚生労働省の「指導」に基づいて形だけ設置しているような会議に出る必要はない。診療だけをすればいい。
これは病院経営者にとっても有り難い。病院の収益は、患者の診療によってもたらされる。患者を診療できるのは医師だけだ。医師の指示がなければ、看護師などコメディカルは動けない。つまり、医師が収益を産む。医師には会議や雑用など間接業務をさせるより、ひたすら診療して欲しい。ところが、実態はそうなっていない。本稿では詳述しないが、様々な規制があるためだ。
私が主宰する医療ガバナンス研究所に集う若手医師たちは、新たな働き方を模索している。私の仕事は彼らを応援することだ。彼らの現状をご紹介しよう。
遠隔画像診断に取り組む
「南相馬と広島・上海で働かないか」――。
坪倉正治医師が嶋田裕記医師に提案した。坪倉医師は2006年に東京大学医学部を卒業した内科医だ。2011年3月の東日本大震災以降、福島県浜通りで診療・研究活動を続けている。2016年4月、福島県立医科大学の特任教授を兼任することとなり、多くの大学院生を指導している。嶋田医師は、その中の1人だ。
嶋田医師は2012年に東京大学医学部を卒業後、千葉県の名戸ヶ谷病院で初期研修を終え、南相馬市立総合病院の脳外科に就職した。前述したように、昨年4月、福島県立医大の博士課程に進んだ。南相馬市立総合病院で診療の傍ら、臨床研究を行う。
彼が研究テーマに選んだのは、遠隔画像診断だ。かつて脳卒中は「東北地方の風土病」と言われた。以前ほどではないが、現在も脳卒中の頻度は高い。
この領域の診断・治療は近年、急速に進歩したが、東北地方ではその成果が充分に患者に還元されているとは言いがたい。脳外科および放射線科の専門医が少ないからだ。
遠隔画像診断は、この状況を変える可能性がある。この問題に取り組んでいるのが、広島市内で霞クリニックおよび株式会社「エムネス」を経営する北村直幸医師だ(2019年3月26日『名ばかり「CT・MRI大国」ニッポンを救う「遠隔画像診断」「AI」融合の可能性』参照)。CTやMRI画像の遠隔診断システムを開発している。
エムネスの売りは、画像データをクラウドに集約することだ。そのシステムを導入した医療機関では、撮影された画像はクラウドにアップされ、エムネスと契約する放射線診断専門医が読影する。結果は、画像に読影レポートをつけて、クラウドを介して医療機関に戻される。
エムネスの料金は安い。それは画像の保管にはグーグルクラウド、やりとりにはインターネット回線を使うため、経費を圧縮できるからだ。医療機関が負担する費用はCTやMRI1台あたり月額3万円で、読影は1件3000円だ。これは破格の安さだ。
エムネスは急速に顧客を増やしている。楽天OBたちが銀座に立ち上げた、「メディカルチェックスタジオ」という脳ドック専門のクリニックにも導入されている。モンゴルなど海外からの画像も受け付けているから、大量の画像データが蓄積する。これは人工知能の研究者にとって宝の山だ。
エムネスは、東京大学発のベンチャーである「エルピクセル」社と共同で、人工知能診断を臨床現場に導入している。
「非常勤」で活躍の場を
嶋田医師は、大学院のテーマとしてエムネスとの共同研究を希望した。世界最先端の臨床研究ができるからだ。エムネスも嶋田医師を非常勤医師として雇用したいとオファーした。
嶋田医師は岐路に立たされた。彼は南相馬市立総合病院で脳外科を続けながら、エムネスで診断業務に携わるという新しい可能性にもチャレンジしたいのだが、それは兼業規制に抵触する。どうしてもやりたければ、南相馬市立総合病院を辞めるしかない。
実は、この問題を解決する別の方法がある。南相馬市立総合病院を辞職して、非常勤医師として再就職することだ。非常勤職員となれば、両方で働くことができる。ところが、周囲の人間関係や職場の都合もあり、なかなか認められない。医局で育った先輩医師からみれば、「若者が我が儘を言っている」ようにしか映らない。嶋田医師も言い出しにくい。
嶋田医師は逡巡していたが、私たちのチームには、このような働き方をする若手医師が多い。
坪倉医師自身がそうだ。東日本大震災直後に福島県に飛び込み、現在に至るまで福島と東京を往復する生活を送っている。日常診療はもちろん、内部被曝検査の立ち上げから、放射線相談、小中学校や住民に対する放射線の授業まで、幅広い仕事をこなしてきた。
現在、相馬市の相馬中央病院特任副院長を「本職」に、福島県立医大の特任教授および南相馬市立総合病院・ひらた中央病院(福島県平田村)・ときわ会常磐病院(福島県いわき市)、ナビタスクリニック立川(東京都立川市)で非常勤医師として診療している。
さらに福島県相馬市、南相馬市、葛尾村など複数の自治体の非常勤職員、複数の民間企業の顧問を務める。『福島民友』などのメディアで連載もこなす。
坪倉医師は個人事業主だ。収入の一部は「報酬」として受け取り、確定申告も行う。後述する若手医師らとともに税理士と契約し、税務処理を委任している。経費が計上できるのだから、研究にも自らのカネで投資する。公的研究費を求めない。臨床研究の多くは、年間数百万円もあれば、かなりのことができる。坪倉医師は「申請書や大学内での手続きにかける時間が無駄」という。
2016年2月、坪倉医師は若手医師らとともに「医療・健康社会研究所」というNPO法人を立ち上げた。彼らの活動を知った市民や先輩医師たちが、「寄附」という形で支援してくれるようになった。
坪倉医師は震災後、116報の英文論文を発表した。臨床・研究の実務活動を通じ、後進を指導した。現在は原発事故対策の世界的権威となり、今年10月にはフランス政府の招聘で渡仏し、放射線防護・原子力安全研究所(IRSN)の専門家と共同研究を行う。
深刻な医師不足の地で
尾崎章彦医師も同様だ。2010年に東京大学医学部を卒業したあと、千葉県内の病院を経て、竹田綜合病院(福島県会津若松市)に就職した。その後、2014年10月に南相馬市立総合病院、2018年1月に大町病院(福島県南相馬市)、2018年7月にときわ会常磐病院に移籍した。
現在、ときわ会常磐病院での乳がん診療をメインに、大町病院でも非常勤医師として診療している。
いわき市の医師不足は深刻だ。2016年末現在の、人口10万人あたりの医師数は161人。ブラジルやエクアドルよりも少ない。全国の68指定都市・特別区・中核都市の中で岡崎市(127人)、船橋市(140人)、豊田市(156人)に次いでワースト4位だ。特に少ないのは脳外科・乳腺外科だ。
尾崎医師が専門とする乳腺外科については、常磐病院では専門医資格を有する常勤医は1人しかいない。いわき市は人口34万人の大都市だ。年間に200人を超える女性が乳がんを発症している。尾崎医師の推計では50人以上が、地元で治療を受けることができず、郡山や東京まで治療を受けに行っている。
常磐病院での乳がん手術数は2017年の28件から、2019年は70件に迫る勢いで増えている。尾崎医師は、この状況を改善しつつある。 病院経営者やコメディカルの支援もあるだろうが、やる気のある若手医師が1人赴任するだけで、地域の状況が、ここまで変わることは特記すべきだ。
医師の育成には診療と研究が欠かせない。尾崎医師は、週末は東京にもどり、私どもの研究所で研究する。その一環として、ワセダクロニクルと医療ガバナンス研究所の共同プロジェクトである「マネーデータベース『製薬会社と医師』」の立ち上げを主導した(2018年7月10日『製薬企業から謝礼金「270億円」もらう医師の「本音」』参照)。
臨床研究にも熱心で、2014年に南相馬市立総合病院に移籍して以降、84報の英文論文を発表し、ネパールや英エジンバラ大学との共同研究のリーダーを務める。坪倉医師同様に、東京大学医学部卒業後に医局に属することなく、自らキャリアを切り拓いてきた。
制度改革を待つより「辞職」
山本佳奈医師の働き方は、坪倉、尾崎医師とは少し違う。2015年に滋賀医科大学を卒業後、南相馬市立総合病院で初期研修を修了した。その後、大町病院、ときわ会常磐病院の勤務を経て、2018年10月からはナビタスクリニック新宿に拠点を移した。
彼女の目標は「女性を総合的に診療できる医師」になることだ。特に関心があるのは貧血、性感染症、子宮頸がん、ピル問題、女性医師差別問題だ。30代の女性が多く受診するナビタスクリニック新宿が格好の修業の場だが、現在も福島県内の複数の施設で勤務している。勤務が空いている日は、医師紹介サイトに申し込み、都内のクリニックでアルバイトもする。「いろんな環境で診療し、経験を積みたい」そうだ。
彼女は企業との連携にも熱心だ。「永谷園」と「子供と一緒においしい!フルーツ青汁」を共同開発した。商品パッケージには山本医師の写真が掲載されている。
「ロート製薬」の健康アドバイザーも務める。大勢の女性社員が働き、大量の女性顧客を抱えるロート製薬は、山本医師にとって理想のパートナーだ。このような共同研究の成果を36報の英文論文として発表し、そのうち筆頭著者は5報だ。
さらに、『アエラドット』、『医療タイムス』などで連載、『ラジオ大阪』にレギュラー出演し、社会への発信にも熱心に取り組んでいる。
山本医師も坪倉、尾崎医師同様に自ら仕事を選ぶ。勤務した病院の勤務環境、経営者の資質に問題があれば、体制の改善を要求する前に辞職する。「言っても変わらないし、そんな暇があれば仕事をした方がいい」と言う。
もちろん、制度の改革が必要なところもある。私は尾崎医師や山本医師の進路相談に乗ってきたが、彼らが飛躍したきっかけも、南相馬市立総合病院の辞職だ。公務員の兼業禁止規定は若手の活動を大きく縛る。幅広い分野で経験を積みたい彼らにとっては、大きな障害だ。安倍晋三政権は兼業を推奨しているが、医療界で具体的な話が進んだ様子はない。もたもたしていると、公立病院から優秀な人材が流出する。
バングラデシュへの支援
若手医師の中には、「海外との兼業」を始めた者もいる。それは森田知宏医師だ。2012年に東京大学医学部を卒業しており、嶋田医師の同期だ。亀田総合病院(千葉県鴨川市)での初期研修を終え、相馬中央病院に内科医として就職した。現在は日曜の当直から水曜までを相馬中央病院で勤務し、木曜と金曜は東京のベンチャー企業「miup」で取締役として働く。
miupの主たる業務は、バングラデシュでの臨床検査の立ち上げだ。森田医師は、毎月1週間程度、バングラデシュで勤務する。仕事柄、地元の医師と交流する。会社の業務の一環として臨床研究を進めるとともに、経済的な側面も含め、バングラデシュの若手医師を応援する。昨年は森田医師が支援して、アビデュラ・ラーマン医師が福島県立医大の病理学教室に留学した。このような交流の積み重ねが、有機的なネットワークの構築へ繋がる。
森田医師は診療の傍ら、東京大学医科学研究所の大学院生となり、博士号を取得した。東日本大震災以降、発表した英文論文は50報で、筆頭著者は16報だ。
坪倉、尾崎、山本、森田医師、いずれもが福島をベースに国内外で「兼業」している。浜通りは医師不足の僻地だ。若者が働きたくない地域の典型だろう。ところが、彼らはここをベースに成長した。そして、現在もこの地の医療を守り続けている。
これは私がグランドデザインを描いたわけではない。東日本大震災直後から福島で診療を続ける中で、自然に確立した働き方だ。彼らは「福島で働き続けるためにはどうすればいいか」を考えて、「複数カ所勤務」の方法を確立していった。
福島の地域医療に従事するのは、やりがいがある仕事だが、症例数も少なく、十分な経験を積めない。幸い福島と東京は近い。我々の研究所が存在する港区高輪から南相馬市立総合病院に行くのに要するのは約4時間だ。毎日の通勤は無理でも、2カ所勤務は十分可能な距離だ。
そして「上海」へ
このような勤務を続けるうちに、彼らは「東京から南相馬に行くのも、上海に行くのも変わらない」と言い出した。上海はダイナミックだ。意志決定は速く、規模は大きい。さらにノウハウを有する人材を求めている。
これまで私たちのグループは上海の復旦大学と共同研究を続けてきた。2017年には森田・山本医師が復旦大学に約1カ月間留学した。世界的に評価が高い英医学誌『ランセット』のレターなども含め、10報以上の共著論文を発表してきた。
5月24日から26日まで、我々のチームは復旦大学を訪問した。先方から「学術論文が着実に出ていることが、大学幹部から高く評価された。ますます交流を加速したい」と提案があったのだ。
そこで坪倉医師が提案したのが、前出の嶋田医師の働き方だ。とりあえずは共同研究から入るが、やがて診療まで拡充させたいと考えている。
上海は近い。東京との所要時間は約3時間。費用は、格安航空券を使えば往復で3万円である。南相馬と東京を往復するのと大差ない。
超高齢化が進むわが国で、脳外科のような高度先進医療のニーズは急速に減少する。人口減少が進む南相馬はなおさらだ。南相馬で働きながら、症例数を積むにはどうすればいいか。国内はもちろん東アジアと連携することだ。
嶋田医師は「給料は減らされてもいい。この地域に軸足をおいて、さまざまな経験を積みたい」と言う。彼の理想は、週の前半を南相馬市で、後半を広島と上海で、隔週で働くことだ。先だって、南相馬市立総合病院長に正式に要望を伝えた。現在、調整中だ。予想通りだが、難航しているという。これも嶋田医師が乗り越えねばならない壁だ。
人は自ら判断し、行動することで成長する。誰かの指示を待つのではなく、自らの責任で、新しい分野に飛び込んでいる。アジアを中心にグローバルなネットワークを構築しようとしている。「サラリーマン勤務医」から「プロフェッショナル」に育ちつつある。医師は変わりつつある。