舘ひろし激白! 生き方はすべてラグビーで学んだ 「オールブラックス」に挑む「日本代表」茨の道
渡哲也と話して…
ラグビーは、優勝杯にも名を冠されるエリス少年が所属する学校で、1823年、“フットボールの試合中に手でボールを掴んで走るというルール違反をした”ことで生まれたという説が流布される。
「イギリスのパブリックスクール、その名も『ラグビー』という学校で生まれたもので、歴史を見るとスノッブな点があるんです。日本がロシアに勝っても、渋谷のスクランブル交差点で誰も騒がないじゃないですか。そういうことをする人たちはラグビーのファンにはいないということじゃないですかね。暴徒化する『フーリガン』はラグビーにもいるんですけど、どんなに烈しく闘ってもどこかで相手を慮るというか、『紳士のスポーツ』という部分があって。ファンにもその精神はあると思います」
ロシアがトライとかいいプレイをすると拍手するし、ロシアのチームが挨拶に来れば、みんな声をかけて拍手をする。
「ノーサイドというのはそもそも死語なのかもしれないけれど、その精神があって。勝たないといけないんですけど、ただ勝てばいいというわけではないというのがラグビーではないでしょうか。僕はいつもラグビーを観戦する時、最後の両チームが笑顔で握手するところまで必ず観る。そこまで含めてラグビーかなと思っているから」
前回大会、日本が奇跡を起こした南ア戦で、敗戦後に相手のキャプテンは茫然自失していたが、ある選手は笑いながら日本選手と握手を続けていたことを例に出して、
「この国には本当にラグビーという精神が息づいてるんだなと思いました。ラグビーって、紳士的じゃないとやる資格がないという気がします。サッカーだと当たってないのに痛がったり芝居する時があるじゃないですか。スローモーションで見ると、“当たってねえじゃん”といったような……。ああいうのはスポーツマンシップからは外れてると思うんです。ラグビーにはそれがないと僕は信じたい。あるにしても、それは当たって痛いふりをするとかじゃなく、足がつったと言って時間稼ぎをする程度のものです」
最後に、「ラグビーが教えてくれたこと」に戻ろう。
「キャプテンは孤独で、部員に理解されないことも多い。辛いこともさせなきゃならないけど、みんなは“辛い練習はやめて帰りたい”と思っているし。そういう経験からも、キャプテンシーは勉強したような気がします。ラグビーは人を慮る、人の痛みを知ることを教えてくれたと話したけれど、それは、俳優として生きていく中で、石原プロの一員としても勉強した気がします」
舘の兄貴分で石原プロモーションの相談取締役を務める渡哲也(77)も、「人の痛み」について、よく口にしていたという。
「日本vsロシア戦が終わった後も渡哲也と話して……“ラグビーはいいなあ”なんて言ってましたよ……。“ルールはよく分からんけどいいな、男のスポーツだな”って……。確かにそうですよね……。渡が気に入ってたのは誰もレフェリーに対して文句言わないってところ。プレーヤーにはプレーヤーの、レフェリーにはレフェリーの領域がある。レフェリーがもちろんプレーすることはない。プレーヤーがレフェリーの方に立ち入ってそのジャッジが正しいとか間違ってるとか言い出したら、レフェリーがいる意味がない。だったらレフェリーなしでやればいいわけで。でもレフェリーがいるってことは全部レフェリーに預けてるということで、それは人を信じるということに繋がってくる。信頼もまた、ラグビーで学ぶんだと思います」
あたかも人生の教科書のようなスポーツである。
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