監視社会で優しくなる人々(古市憲寿)

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 かつて「お天道様が見ている」という言葉があった。たとえ他人の目がなくても、太陽だけはあなたを見逃さない、だから常に良く振る舞えといった意味だろう。

 今は「監視カメラが見ている」、もしくは「スマホが見ている」だ。

 たとえば2018年、ハロウィンに浮かれる渋谷で若者たちが軽トラックを横転させる事件があった。15人の男を特定、うち4人が逮捕されたが、その決め手になったのは防犯カメラやスマホだった。映像をリレー方式で追跡、Suicaの乗車履歴などを組み合わせて犯人を探したと言われている。

 殺人でもない事件に、なぜ警察がそこまで総力を挙げるのかは不明だが、「お天道様」の出ていない夜であっても、カメラやスマホは見ているのだ。

 国家が市民を過剰に監視するのはいかがなものかという議論がある。かつてはオービス(速度違反自動取締装置)を導入するだけでも大反対が起こったものだ。住基ネットも国民総背番号制だと批判された。しかし最近、そうした意見をあまり聞かない。恐らく実利のほうが大きいからだ。

 これまでなら闇に葬られてきた事件、被害者が泣き寝入りしていた出来事の証拠も残しやすくなった。ある政治家の「このハゲー!」という暴言が白日の下に晒されたのも、スマホやボイスレコーダーの普及があったから。昔からあったはずのあおり運転が、ここまで社会的に話題になったのもドライブレコーダーの存在が大きい。

 監視社会は犯罪の抑止や捜査に有益である以上に、人々を優しくしている。

 我々は画面だけで監視されているわけではない。トリップアドバイザーなどの旅行口コミサイトの流行によって、世界のホテルは一見の客に変な対応ができなくなった。たった一つのレビューがホテルの人気を地に落とすこともあるからだ。ウーバーなど配車アプリも同じで、運転手や客は相互評価を気にして、良き人として振る舞おうとする。もはや完全に「お天道様」だ。

 興味深いのは、監視社会の進展によって、市民だけではなく、国家や権力も監視されているという点だ。たとえば大規模デモなどで、警察が参加者を過剰に制止している動画があれば、すぐにネットは炎上してしまう。実際に香港のデモでは、多数の映像によって「香港警察はひどい」という印象が形成された。

 しかし今でも日本には、何とか監視の目を逃れている領域がある。

 2019年から裁判員裁判が対象の事件などの取り調べ可視化が義務づけられたが、割合でいえば全刑事事件の2%から3%に過ぎない。これほど安価で簡単に記録ができる時代に不可解だ。

 また裁判に至っては冒頭しかカメラが入れない。公開が原則のはずなのに撮影も録音も制限されている。拘置施設や刑務所でも接見中に被収容者の撮影は許可されていない。

 監視が当たり前になった社会では、記録が制限されているだけで「何かやましいことがある」と勘ぐられても仕方がない。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2019年10月3日号掲載

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