米海軍が「UFO動画」を本物と認定 矢追純一氏はこのニュースをどう読んだか

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矢追氏の分析は――?

 まずは矢追氏に対し、「CNNの報道に対する感想」を訊いた。すると「驚きはなかったです」という答えが返ってきた。理由は「米空軍の基地がUFOに悩まされていたという米政府の公文書がすでに存在するから」だという。

「1978年にアメリカの市民団体がCIAを『UFOに関する極秘文書を隠蔽している』とし、情報開示を求める訴訟を起こしました。法廷でCIAは極秘文書の存在を否定しましたが、連邦裁判所はCIAに開示を求める判決を下したのです。市民団体の勝訴が決まると、何とCIAは935ページに及ぶ極秘文書を提出しました。『そんな文書は存在しない』と法廷で弁明していたにもかかわらず、です」

 極秘文書には、米国内の空軍基地などでUFOが上空侵犯を企てても、何ら対抗措置が行えなかった事実が記録されていた。

 1980年8月には、ニューメキシコ州カートランド空軍基地に大きな円盤状の物体が着陸したという。物体が基地上空を飛び回ったのを3人以上の兵士が目撃、1人の少佐と1人の警備兵が宣誓供述書をまとめ、サインしたことも公文書には記録されていた。

「今回、米海軍が“本物”と認定した動画ですが、理論的に突き詰めれば、CG合成の疑いが完全に消えたわけではありません。みなさんがイメージするほど、“証拠能力”は高くないのです。一方、かつてCIAが開示したのは、れっきとした公文書です。公文書は重要な歴史資料としても使われますから、その信憑性は折り紙付きです」

 矢追氏は、「自分にとって周知の事実が今になって再び脚光を浴びているのはなぜか、そちらに興味を惹かれます」と話す。

「結局のところ、海軍が動画を“本物”と認めた意図や狙いは、少なくとも今のところは分かりません。ただし、動画の信憑性を公式に認めたという事実から、現在のトランプ政権がUFOの情報開示に積極的である可能性が浮かびます。国家が分断すると、“外敵”を演出して国民を団結させようとするのは政治のセオリーでしょう。UFOの動画が“外敵”に使われたかもしれない。来年にアメリカ大統領選が行われるというタイミングも、看過できないポイントだと思います」

 改めて「矢追氏にとってUFOとはどんな存在か?」と質問すると、少し意外な答えが返ってきた。

「普通の人が持つ関心や興味と変わりません。私は、宇宙人がUFOを操縦していると信じているわけではありません。1人のテレビマンとして、ジャーナリストの一員として、UFOという謎と格闘するのは面白かった。ジャーナリズムがオカルトを忌避することへの疑問もありました。何より私は、ディレクターという仕事が大好きでした。腕もあったと思います。ありったけの情熱を注いでUFOの特番を作ったからこそ、今でも多くの方々の記憶に残るインパクトを持ち得たと自負しています」

 矢追氏が初めてUFO問題を扱った番組は、日本における深夜番組のエポックメイキングとして知られる「11PM」(日本テレビ系列・1965―1990)だった。60年代のことだ。

 日本テレビに矢追氏が入社したのは60年。まずはドラマ班に配属されたが、「良質な家庭向けドラマ」の制作は性に合わなかったようでドロップアウト。歌番組や寄席中継に回されたが、こちらも納得がいかない。すると「日本初の深夜番組を創る」という話を耳にして、自ら「11PM」を志願した。

 さっそく番組の企画を立てるよう要求された。考えていると、「なぜ、最近の日本人は空をゆっくりと眺めないのか」という疑問がぱっと浮かんだ。

 これが企画の糸口になった。「今さら星座を紹介しても面白くない」とアイディアを練り続けていると、書店で『空飛ぶ円盤』という本を発見して閃いた。

「『空飛ぶ円盤』に焦点を当てることで、企画の原点だった『空をゆっくりと眺める』ことをテレビでもやれると思ったのです。具体的には、麹町にあった日本テレビの屋上にカメラを設置し、『夜空をリポートする』と提案したのです。もちろん『夜空にUFOがいないかウォッチする』というのが口実でした」

 ところが技術部が、「雨で濡れたらカメラが故障する」、「屋上にケーブルを設置するなど不可能だ」などという理由で、猛反発した。

「当時はハンディなビデオカメラなんてありません。スタジオに置いてある巨大なカメラを、屋上に移動させなければなりません。技術部長に呼ばれて、『カメラは1000万円だが、何かあったら弁償できるか?』と訊かれました。当時、日テレの初任給は1万円。弁償なんて無理です(笑)。ところが番組のプロデューサーが技術部を説得してくれて、何とかカメラを屋上に置けることになりました」

 当時の11PMは――というよりテレビ界全体が――生放送。スタジオでは司会の大橋巨泉(1934―2016)がUFO研究家とトークを繰り広げ、屋上ではまだ若手アナウンサーの1人だった徳光和夫氏(78)がUFOを発見、屋上への着陸に備える、という二元中継の企画をまとめた。

「オンエアが近づくとプロデューサーに呼ばれて、『矢追、本当にUFOが着陸して、宇宙人が降りてきたらどうするんだ?』と訊かれました。徳光アナが夜空にUFOを発見する可能性すら考えていなかったので(笑)、一瞬、答えに窮したんです。それでも、『宇宙人の接待はしなきゃいけないでしょう』と返すと、『じゃあ、応接室を予約しておくよ』と言ってくれたんです」

 プロデューサーは日テレで最も豪華な応接室を予約し、入口の扉に「宇宙人さま控え室」の張り紙を貼ったという。もちろんシャレなのだが、矢追氏はプロデューサーの「頑張れよ」というエールを受け取ったという。

 もちろん番組は大成功、さっそく矢追氏は「UFO」というあだ名を付けられた。それが、あの懐かしい「木曜スペシャル」(1973―1994)におけるUFO特番の快進撃へとつながっていった。

 現在のテレビについて矢追氏に訊くと、次のような答えが返ってきた。

「私の感想を申し上げるより、もっと興味深いことをお教えしますよ。今でもたまに後輩と会うことがあるんです。そうすると向こうから僕に言います、『矢追さん、最近のテレビ、面白くないでしょう?』ってね。自分たちで認めているんですから、今さら感想など必要ないでしょう」

週刊新潮WEB取材班

2019年10月2日掲載

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