100年休まずに時計職人「石田要一さん」日本記録を保持 【続・達者な100歳にはワケがある】
90歳で腎臓がん
時計に憧れがあったわけではない。親に「時計屋にでもなったら」と勧められたのがきっかけだったが、すぐに頭角を現した。
「時計修理は掛け時計から始めて、目覚まし時計、提げ時計、腕時計という順番で修業する。大きい物からだんだん小さい物を扱えるようにするんだけど、一人前になるまでに5年かかる。僕は器用だったから3年ほど、18歳になるあたりで認められて店の番頭になった。お客さんがわざわざ指名してくれるようになってね。ナイショで他の時計屋の仕事も請け負ったり、結構稼いでいたんよ」(同)
先の大戦で徴兵された際は、職人としての腕をかわれて航空機の整備兵となり、終戦後は30代半ばで地元・福井の百貨店の時計宝飾部の店長に就任。43歳で独立して時計店を開く。46歳の時には県主催の技能競技大会1級時計修理の部で知事表彰を受けるまでになったが、マイスターたる所以の器用さと集中力は強靭な肉体があればこそ。実は80歳で白内障を患い、90歳の頃には腎臓がんになってしまうが、見事克服しているのだ。
再び石田さんが言う。
「目の調子は手術後も問題なくて時計の細かい部分までハッキリ見えるし、がんも放射線治療は高齢だと体がもたないと医者に言われたんだけど、検査をしたら『あなたは70歳代の体力だから問題ない』と言われてね。2カ月近くも入院する予定が、回復が早くて2週間ほどで退院できたから先生も驚いた。3年くらい前は、自宅の階段から落っこちて肋骨を4本くらい折ってしまい2本は肺に刺さっていたんだけど、1週間くらいの入院で済んだ。リハビリをしたらすぐに歩けるようになったから、病院の人たちもびっくりしてたよ」
驚異の生命力としか言いようがないが、数々の“奇跡”は果たして偶然の産物なのだろうか。石田さんの日常を覗けば、それは日々の鍛練に裏打ちされた結果だということがよく分かる。
毎日5時に起床すると、石田さんは自らの手を使って全身マッサージを始める。頭の先から足の指一本一本までを丁寧に圧した後、手を開いたり閉じたりを繰り返す。最も酷使する目は、上下左右に何度も動かす。
「これらの運動を30分かけてやるんだけど、手と頭を同時に動かすことが大事なの。仕事でも手と頭を毎日使うから、ダメにならずに居られるんだと思うよ」
そう語る石田さんはスポーツも大好きで、新しい競技にチャレンジすることも厭(いと)わない。90歳ぐらいからグラウンドゴルフを、一昨年からはスティックリングという、カーリングに似た運動も始めた。極めつきは日本記録を保持する砲丸投げだ。
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