「英語入試改革」に全国の高校から不満噴出! 実施を民間に丸投げする文科省の罪

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文科省はなぜ取り下げないのか

 先の会見に並んだ東大名誉教授の南風原朝和(はえばらともかず)氏は、国立大学協会の問題も指摘する。

「17年6月、国大協として文科省の案に対し“公平な評価ができない”“経済的格差による不公平さ”などの懸念を示しました。ところが同年11月、懸念はなにも解決していないのに、民間試験の使用を受け入れたのです。その決定は、各大学への意向調査期間が1週間程度という不透明な状況で進められ、大学の英語教員でさえ、調査があったことすら知らないことが多かった。前に進めるのが前提の、形だけの調査でした」

 そして、こう加える。

「旧帝大は東大、京大、名大が民間試験の受験を必須とせず、北大と東北大は一切使わないと言っています。しかし、比較的体力がない国立大には文科省から“決めた流れに沿ってほしい”と、圧力に近い要望もきていると聞きました」

 現場からは、民間試験活用は「システムとして成立しないので中止すべきだ」という声ばかりが聞こえるが、文科省はなぜ愚策を取り下げないのか。

「民間企業に試験運営を丸投げしているため、国は業者に依頼したり、圧力をかけたりすることしかできません。だから具体的な解決策につながらないのです」

 と羽藤教授。文科省OBで、京都造形芸術大学教授の寺脇研氏によれば、

「僕のころは、大臣の命令でも現場に反対が多ければ、時間をかけるように提言できた。でも政治主導のいまは、官邸に“20年までに”と言われたらやらざるをえない。現場の声を知っている役人のなかには、忸怩(じくじ)たる思いを抱えている人も少なくないと思います」

 そもそもの改革の方向性に疑問符をつけるのは、元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏である。

「読む、書く、聞く、話すの4技能の向上という基本的な方向性は正しいと思いますが、四つの能力を低レベルで揃えても国際社会で使えるわけではない。それよりも読む力を問うべきで、読む力さえあれば聞く、書く、話すは後からついてきます。私が外交官試験を受けたときは英文和訳と和文英訳のみで、それはいまも変わらないと聞きます。センター試験では社会で必要な英語力が測れない、という制度改革の出発点自体が間違っているのです」

 改革によって入試から公正さを奪い、学力も正しく測れないようにする。官邸と文科省が進む道は、日本人と国力に対する破壊活動そのものではないのか。

週刊新潮 2019年9月26日号掲載

特集「全国の高校から憤怒と悲鳴! 文科省の『英語入試改革』に校長たちが『理由ある反抗』」より

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