永遠の「女王」アニカ・ソレンスタム「真の偉業」 風の向こう側()

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 アニカ・ソレンスタム(48)と言えば、米女子ゴルフ界のみならず世界の女子ゴルフ界を席巻し、メジャー10勝を挙げたスウェーデン出身の女王として君臨していた。

 だが、シーズン早々に3勝を挙げて女王の健在ぶりをアピールしていた2008年5月に突然、引退を宣言。その年限りで第一線からきっぱり去っていった。

 あのソレンスタムは今、どうしているのだろうか――。そう思った矢先、彼女の素晴らしい活動と活躍が、米国のジュニアゴルフと大学ゴルフの世界から聞こえてきた。

「マネーではなくキッズから」

 9月半ば、米ミネソタ州の「ロイヤルGC」で「アニカ・インターカレッジエイト」(9月15~18日)という大会が開催された。これぞ、ソレンスタムが創設し、世界的化学素材米企業「3M」がスポンサードしている女子大生ゴルファーのための「インカレ」である。

 全米トップクラスの10チームに地元大学の2チームが加わり、さらに優秀な個人も含めた合計60名の女子大生ゴルファーが一堂に会したロイヤルGCでは、開幕日の15日にキックオフ・イベントが催された。

 いろいろな車が披露されるモーターショー、賑やかなバンドのライブ公演など、普通に考えるとゴルフとは縁遠いような催しも行われていたのだが、キックオフ・イベントの目玉は、ジュニアクリニックだった。

 6歳から12歳の子供たちがロイヤルGCに創設されたユニークな6ホールのショートコースを回るというものだったが、このショートコースがなんとも素晴らしい。

 ロイヤルGCのオーナーであるホリス・カブナー氏と今は亡きアーノルド・パーマーが「ゴルフの拡大は、マネーではなくキッズから始まる」と意気投合し、子供たちが楽しめるコース設計を熟考。採算は度外視して創設された特別なショートコースだと言われている。

 2番ホールは、「全英オープン」の舞台としても知られる英国の名門コース「ロイヤル・トゥルーンGC」の「ポステージ・スタンプ」と呼ばれている8番にちなんだデザインの34ヤード、パー3。6番は米国の名コース「オークモントCC」を思わせる98ヤードだ。広く一般に開放されており、18歳以下のプレーフィーは無料。大人も一緒に回ることができ、1回10ドルだが、年会費75ドルを払えば1年中無料で楽しめるそうだ。

 自分のクラブを持っていない子供は、プロショップに行けば「図書館で本を借りる感覚で、豊富な品揃えの中からクラブを借りることができる」という。

 こうした仕組みを考え出したロイヤルGCのオーナーとパーマーに魅せられ、このコースを「我が大会」の舞台に選んだのが、かつての女王ソレンスタムだった。

「ジュニアやカレッジゴルファーのプレーの機会を増やすこと。それこそが私の財団のミッションです」

復帰直後の引退宣言

 1950年に米LPGAが創設されて以来、米女子ゴルフは米国人選手の独壇場だった。その「オンリー・アメリカン」の世界に初めて君臨した外国人が、スウェーデン出身のソレンスタムだった。

 賞金女王に輝くこと8回。メジャー大会では合計10勝、米ツアー通算72勝を挙げ、押しも押されもしない「女王」として眩しいほどに輝いていた。

 アニカみたいな選手になりたい――そんな夢と希望を抱くジュニアたちが、彼女の母国スウェーデンをはじめ、韓国、オーストラリア、日本、台湾、メキシコ、パラグアイなど世界各国からアメリカへ渡り、「ネクスト・アニカ」を目指した。

 2001年の春には「スタンダード・レジスター・ピン」の2日目に女子プロ初の「59」をマークして世界を沸かせた。2003年には男子の米PGAツアーに挑み、大きな注目を集めた。その年に生涯グランドスラムも達成し、世界ゴルフ殿堂入りも果たした。

 すべてを手に入れたソレンスタムは、以後もさらなる勝利を重ね、5年連続で女王の座に君臨し続けていた。

 とは言え、2006年には王座をロレーナ・オチョア(37)に奪われ、初めて翳りを見せた。首から腰にかけての故障に泣かされた2007年は、ついに年間0勝。世間ではソレンスタム時代の終焉が囁かれ始めていた。

 だが、2008年は春先から次々に3勝をマークし、王座奪回を思わせる勢いを見せていた。

「練習すらできない日々は本当に辛かった。でも、ツアーに復帰できた今は、新しい人生を得たような気持ち。だから私はもう1度、頂点を目指します」

 同年3月ごろ、テレビ番組のインタビューで、ソレンスタムは確かにそう言った。5月の引退宣言は、その矢先だった。

「retire」ではなく「step away」

 忘れもしない。あれは2008年5月13日、米LPGAの「サイベース・クラシック」という大会の火曜日だった。突然、会見を開いたソレンスタムは、その年限りでツアーから退くことを発表。世界のゴルフ界に衝撃が走った。

 彼女が口にしたのは「引退」をそのまま示す「retire(リタイア)」という言葉ではなく、「step away=去る」という表現だった。それは、これまでとは異なる道を進むために、自らの意志でツアーから去るのだという強い決意を物語っていた。

 そのとき、ソレンスタムは37歳。当時はすでに、子供を持つママさん選手が現役で何人も活躍しており、37歳での引退は「早すぎる」と感じられたことは確かだった。

 しかし、彼女の意志は固く、引退の決意が揺らぐことは決してなかった。

 引退を決めた最大の理由は、婚約していたマイク・マクギー氏と結婚し、「家庭を築いていく人生を優先したい」というものだった。

 そして、「これからは競技ではなくビジネスとしてゴルフに関わりながら生きていきたい」と彼女は言った。

 なるほど。ソレンスタムは自らの位置づけを「インサイド・ロープ」から「アウトサイド・ロープ」へ「step away」させようと心に決めたのだ。

 だが、「ビジネスとして」と言っていた彼女のその後のゴルフビジネスとの関わり方には、「単なるビジネス」ではなく、優しさや愛情がたっぷりと感じられる。

 子供と大人がともに楽しめるコースデザイン、女性ゴルファー対象のアパレル・ラインの考案、ジュニアや女子ゴルファーのための「アニカ・アカデミー」創設、そして女子大生ゴルファーのためのアニカ・インターカレッジエイトの創設と運営。その開幕イベントでもジュニアクリニックを実施するなど。ソレンスタムのビジネスは、ジュニアや女性への気遣いと思いやりに溢れ返っている。

「私のジュニアシリーズを巣立っていった選手が、やがて大学ゴルフ部に入り、このインカレで私の目の前に再び現れて再会できる喜びは何にも変えられません」

 プレーヤーとして輝いた世界から「step away」したソレンスタムは、子供たちを育て、選手を育てることに力を尽くし、いまなお輝いている。

 そのすべてが彼女の偉業。昔も今もゴルフ界をリードしているソレンスタムは、永遠に「女王」であり続ける。

舩越園子
ゴルフジャーナリスト、2019年4月より武蔵丘短期大学客員教授。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。最新刊に『TIGER WORDS タイガー・ウッズ 復活の言霊』(徳間書店)がある。

Foresight 2019年9月24日掲載

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