101歳の看板娘「下元登喜子さん」元気の源は週刊誌 【達者な100歳にはワケがある】
寝る前にプリン
創業は昭和28年、下元さんが30代半ばの時だった。戦争で夫を亡くした彼女は、女手ひとつで子供たちを育てなくてはならなかった。戦後の復興期は、道路工事の作業員として、屈強な男たちと同じくツルハシを手に現場で汗を流したという。
「なかなか遺族年金が支給されなくて、作業員をするしかなかった。石を担いだりバラしたり、男と同じことをせんと雇って貰えん。5、6年はやったかね。女は邪魔だと言われたり辛かった。男の誘惑もあったけど、そんなことに負けたらいかんと。再婚話もあったけど、私は初恋の人と一緒になったけん。今まで再婚せずにおったから自分の子や孫が大事にしてくれる。今朝も起きてから、仏壇でキレイに祀られてよかったねと、仏様に言うたの」
そんな苦労の甲斐あって、終戦から6年が経ってようやく遺族年金がまとめて支給されたそうだ。その額は当時の金額で約10万円。公務員の初任給が5千円の時代だから、今の貨幣価値に換算して250万円もの大金である。
「どうしたもんかといとこに相談したら、“人間は生まれたら裸足ではおらん”と言われ履き物屋をやったらどうかと。最初は下駄から始めて靴も扱った。いきあたりばったりでやってきたけど、あたしが元気でレジを打てるうちは、店に立とうと思ってる。やっぱり商売は面白いから。でも、若い人にやり方を慣れて貰わんといかんから、もうぼちぼち店を譲ろうと思うの」
そう口にする下元さんは、店にいた女性を指さしながら微笑む。突如、看板娘から後継指名されたのは、孫の中越美保さん(54)だ。
「まだまだ婆ちゃんと店を続けますから、私なんて丁稚ですよ」
と美保さんは謙遜するが、彼女の母で下元さんの長女・澄子さん(83)は、
「婆ちゃんと私の主人と3人一緒に暮らしていますが、お店は日曜以外、朝8時から夕方6時半まで開けっ放し。ずっと働いてますから」
まだまだ引退する気配は微塵も感じさせないが、これまで病気らしい病気は一切したことがないそうだ。
歯も入れ歯と半々くらいで、歯科医師に褒められることもあったというから驚くばかり。食欲も旺盛だ。
澄子さんに訊けば、
「甘い物が好きで、寝る前にプリンをよく食べます」
それを受けて看板娘曰く、
「プリンが体に良いか知らんが、食べたいものを食べたらええと思っとる。嫌いなものはあんまりないし野菜も好きだけど、とにかく肉が好物で、牛肉が一番。すき焼きもいいけど、焼肉が最高じゃき。高いけど」
(3)へつづく
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