リンカーン像は巨大で(古市憲寿)

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 ワシントンD.C.へ行ってきた。アメリカの首都である。ホワイトハウスやFBIなど政治・行政機能が集中し、スミソニアン博物館をはじめとした多くの巨大ミュージアムを抱える文化都市でもある。

 しかしニューヨークやロンドンに比べると、訪問歴のある人は少ないと思う。経済都市ではないし、娯楽の数も多くはない。脱出ゲームもあまりない上に、レベルも低かった。

 初めてD.C.へ行ったのは3年前。第一印象は「怖い街」だった。

 建物のスケールがとにかく大きいが、人通りが多いわけではない。街は碁盤の目のように整然と設計されており、その分あまり「人間臭さ」を感じない。

 要は、巨大な霞が関のようなものなのだ。霞が関に泊まって興奮できる観光客が少ないように、あまりバカンス向きの場所ではない。

 街の中心には、リンカーン記念堂、ワシントン記念塔という二つのメモリアルが建てられていて、その直線上に連邦議会議事堂がある。

 特に巨大なリンカーン像は大仏のようだと思った。1776年に独立した人工国家であるアメリカは、日本のような創世神話を持たない。そのため建国者や偉大な大統領たちを、ある種の神として讃える必要があったのだろう。

 この街は死の気配をも隠そうとしない。リンカーン記念堂から橋を渡ってすぐの場所にアーリントン国立墓地がある。253ヘクタールの巨大な敷地の墓地にはアメリカのために命を落とした人々が眠る。

 ワシントン記念塔のそばにも第2次世界大戦の記念碑が建てられている。戦争経験者が減っていくことが問題視された1980年代に建設が発案され、2004年に一般公開された。白亜の噴水は、大きな存在感を放っている(放ちすぎて景観を害しているという論争まで起こったくらいだ)。

 人間のために作られた街ではなく、アメリカという国家を象徴的に表現するために創設された場所。それがD.C.だと思った。だから、アムトラックという電車で移動したニューヨークがとにかく楽しかったことを覚えている。

 ちなみにD.C.からニューヨークまでは飛行機で1時間、車や電車でも3〜4時間あれば行けてしまう。

 その時は一人旅だったが、今回は友人を訪ねたこともあり、違うD.C.の姿を知ることができた。幽霊が出ると噂の豪邸に招かれたり、アメリカで大成功している「San-J」というグルテンフリー醤油のことを勉強したり、滞在期間中は意外と充実していた。

 小さな話もたくさん聞いた。たとえば連邦議会議事堂には星条旗が掲揚されるのだが、中国製ということが問題になり、アメリカ製の旗に切り替わったとか。キング牧師の記念碑が建てられたのだが、花崗岩の像であるため見た目が「真っ白」で議論になったとか。

 どんなに無機的に見える場所であっても、人々が暮らしている限りにおいて「人間臭さ」が消えることはないのだ。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2019年9月19日号掲載

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