西川社長「解任」も「後任選び」も社内抗争という日産の暗部

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 「誰も火中の栗を拾わないどころか、社長をやりたい幹部が暗闘を続けているのが、あの会社の最大の問題なんだ」

 経済産業省の大物OBはそう言って眉をひそめた。

 あの会社とは日産自動車のことである。

 西川廣人(さいかわ・ひろと)社長兼CEO(最高経営責任者)が9月16日付で辞任。これまでCOO(最高執行責任者)だった山内康裕氏が暫定的なCEO代行に就任した。正式な後任CEOは、6月に発足したばかりの指名委員会が10月末までに決めることになっている。指名委員会の委員長は社外取締役の豊田正和氏。通商政策局長などを務め、2008年に経済産業審議官を最後に退官した元経産官僚だ。その後、日本エネルギー経済研究所の理事長などを務めている。

 一見、人事は豊田氏を通じて経産省が握っているように見えるが、話はそう簡単ではない、という。どうも、西川氏の辞任劇も、経産省が仕組んだものではないようなのだ。

ネタ元は社内の幹部

 9月8日日曜日、西川社長が「周辺に社長を辞任する考えを漏らした」というニュースが流れた。翌9日には取締役会が開かれる予定だった。取締役会には、株価連動型報酬を巡って、権利行使日を変えることで西川氏が4700万円多く受け取っていた報酬不正問題に関する報告書が出されることになっていた。

 この不正疑惑は、カルロス・ゴーン前会長と共に逮捕・起訴されたグレッグ・ケリー元代表取締役が6月に月刊誌で暴露。その後、社内調査が行われていた。

 翌9日朝、記者団に囲まれた西川氏はこう答えた。

 「早くバトンタッチできるように、指名委員会で(選考は)きちんとスタートしている。次の世代に引き継ぐ準備はしている」

 ニュアンスとしては明らかに、すぐさま辞任することを否定していた。「早期に退任して後任に引き継ぐ」というのは既定路線で、報酬上乗せ問題で引責辞任するという姿勢は微塵も感じさせなかった。実際、この段階では、西川氏は辞めるつもりはなかったとみられている。どんなに早くても2020年6月の株主総会、あるいはルノーとの経営権を巡る交渉が終わるまでは自らがトップであり続けるつもりだったようだ。

 だが、西川氏は追い込まれていった。

 「周辺に辞意を漏らした」と新聞が書いたネタ元も社内の幹部だったとみられる。西川氏がつい弱音を吐いたのか、西川氏を辞めさせるために、「辞めると言っている」というウソを流したのかは分からない。

 西川氏の思いとは関係なく、取締役会で西川氏を辞任させる手はずは着実に整っていった。『日本経済新聞』などによると、取締役会で報酬上乗せ問題について報告があったのち、西川氏は退席を求められる。西川氏自身の人事を議題とするため、当事者に席を外させたのだ。

 辞任させたとしても、問題は後任だった。筆頭株主であるルノーとの交渉はとりあえず「休戦状態」だが、いつまた資本の論理で日産を傘下に取り込もうとするか分からない。6月に西川氏の社長続投が決まったのも、「ルノーとの交渉ができるのは西川氏しかいない」という政府・経産省の判断があってのことだ。

 報酬上乗せ問題は明らかな不正とはいえ、この段階で西川氏を辞めさせるわけにはいかないと経産省は見ていたフシがある。株価連動型報酬で権利行使日を変えて報酬の上乗せをしていたのが、西川氏だけではなく複数の取締役にもいること、西川氏自身は権利行使日の変更を指示していないこと、などから、4700万円を返還すれば乗り切れるのではないかと見ていたようだ。

「日本企業じゃありません」

 経産省が日産の経営に関心を持ち始めたのは、2017年の初め頃だった。フランスで経済・産業・デジタル大臣を務めたエマニュエル・マクロン氏が大統領選挙に立候補を表明、当選する可能性が出始めていた頃だ。マクロン氏が大統領になれば、フランス経済の立て直しのため、ルノーによる日産支配を強化するとの見方が出始めていた。日産の独立性維持を主張してきたゴーン会長(当時)も、保身から日産とルノーの統合に前向きな発言をするようになっていた。

 それまで「日産は日本企業じゃありませんから」とうそぶいて、日本の産業政策の枠外に置いてきた経産省が危機感を持ったのは、日産がルノーの子会社になり、名実ともに日本企業ではなくなってしまうのではないか、という懸念が一気に強まったためだった。日産の傘下には三菱自動車も加わっていた。

 独立性維持に向けて経産省は着実に手を打った。まずゴーン氏を会長専任とし、日産のCEOから外すこと。ゴーン氏が三菱自動車の会長になったこともあり、これは抵抗もなく実現し、西川氏にバトンタッチされた。2017年4月のことだ。

 そして、取締役に経産省の意を受けて動く人物を送り込むことだった。豊田氏が取締役になったのは2018年6月の株主総会。当時、豊田氏の就任はあまり注目されなかった。同時に就任した社外取締役に、元レースクイーンで女性レーシングドライバーの井原慶子さんがいたことで、メディアの目はそちらに移っていた。

「社内抗争」でクギ

 話を戻そう。取締役会議長を務める社外取締役の木村康・JXTGホールディングス元会長が、西川氏を部屋に呼び戻し、「取締役会としてきょう辞任を要請する」と言い渡したことで、西川氏の事実上の「解任」が決まったが、それまでの議論の中で、豊田氏は「後任が決まってからでも遅くはない」と、反対していたことが報道で明らかになっている。

 これは西川氏解任劇は経産省の意向でなかったことを物語る。しかしながら、「辞意を漏らした」という報道と共に、「豊田氏が西川氏を見放したらしい」「経産省も即刻辞任を求めているようだ」という真偽不明の噂も報道関係者の間を駆け巡っていた。どうやら、そうした情報を流すことで、西川氏を辞任に追い込もうとしていた勢力があったらしい。西川氏を追い落として、自分がトップに就こうと考えている幹部がいるというわけだ。

 9月9日の取締役会で西川氏が16日付で社長兼CEOを辞任することが決まると、世耕弘成・経済産業相(当時)は、「コーポレートガバナンスがしっかりと機能している証左だ」と西川氏の「解任」を評価してみせたが、一方で後任について、「社内抗争で決まるのではなく、指名委員会を中心とした、しっかりとしたコーポレートガバナンスが機能する中で選ばれていくことを期待したい」と付け加えた。記者から聞かれもしないのに、わざわざ「社内抗争」という言葉を出して、クギを刺したのである。

 経産省の関心は、日産のルノーからの独立性をどう守っていくか。そのためにルノーと交渉できる人材をCEOに据えようと考えているが、グローバル経営に精通した経営人材などそう簡単には見つからない。

 早くも日産社内では、後任CEOの下馬評が取り沙汰されている。山内代行がそのままCEOに就く説や、関潤専務執行役員の昇格説、内田誠専務執行役員の抜擢説などがかまびすしい。だが、経産省の幹部からは、「ゴーン事件で地に落ちた信頼を回復するには、外部から清新な経営者を持ってくるべきだ」という声が聞こえる。

 果たして2カ月足らずの間に経産省のお眼鏡にかなう経営トップが見つかるのか。あるいは、日産お得意の人事抗争の結末として新トップが現れるのか。

 そんな人事の混乱に乗じて、ルノーからは経営体制のあり方を抜本的に見直すべきだという声も上がっているという。株式の4割以上を持ちながら、経営権を事実上持たない両社間の「申し合わせ」を反故にし、あわよくば資本の論理に従って日産を傘下に収めてしまいたいという思惑が、またしても見え隠れする。

 新トップがどんな人物になるのか。日産の企業としてのあり方にもかかわってくるだけに、人選の行方が注目される。

磯山友幸
1962年生れ。早稲田大学政治経済学部卒。87年日本経済新聞社に入社し、大阪証券部、東京証券部、「日経ビジネス」などで記者。その後、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、東京証券部次長、「日経ビジネス」副編集長、編集委員などを務める。現在はフリーの経済ジャーナリスト。著書に『2022年、「働き方」はこうなる』 (PHPビジネス新書)、『国際会計基準戦争 完結編』、『ブランド王国スイスの秘密』(以上、日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)、『破天荒弁護士クボリ伝』(日経BP社)、編著書に『ビジネス弁護士大全』(日経BP社)、『「理」と「情」の狭間――大塚家具から考えるコーポレートガバナンス』(日経BP社)などがある。

Foresight 2019年9月18日掲載

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