目黒虐待死事件、母親が法廷で明かした“結愛ちゃんが亡くなるまでの地獄の日々”
「パパから怒られるから嫌」
雄大の結愛ちゃんへの虐待がはじまったのは、優里が彼の子である男児を出産した後だった。雄大は息子を溺愛する一方で、結愛ちゃんには「愛想がない」「言うことを聞かない」と言って怒りをあらわにするようになった。
優里が最初に虐待を目にしたのは、出産から2カ月が経った11月だった。雄大が足でいきなり結愛ちゃんのお腹を蹴ったのである。優里が動揺して泣いてやめてほしいと言うと、雄大はこう言い放った。
「おまえが泣いている意味も、かばっている意味もわからない!」
優里はショックのあまり前後の記憶が抜け落ちているそうだが、おそらくは再び説教がはじまったのだろう。おまえが育児をしっかりしないから、代わりに叱ったのだと言われたのではないか。これ以降、雄大は「しつけ」という名の虐待をはじめるようになり、DVの支配下にあった優里は傍観することしかできなくなった。
雄大の虐待は日を追うごとにエスカレートしていった。優里が最初に虐待を目にした翌月からわずか3カ月の間に、結愛ちゃんは児童相談所に2度も一時保護されている。いずれも、雄大に暴力をふるわれた後に外に放置されていたのを、保護されたのだ。
児童相談所からの聞き取りの際、結愛ちゃんはこう言った。
「パパから怒られるから嫌。会いたくない」
2歳児にしてみれば、必死のSOSだったはずだ。だが、その声は受け入れられなかった。
雄大は自身の虐待が発覚することを恐れ、児童相談所に対して暴力をふるっていないと主張。さらに優里にも自分がつくったメモを暗記させて嘘の証言をさせ、口裏を合わせるように強いた。これによって、児童相談所は雄大から結愛ちゃんを強制的に引き離すことをせず、2度にわたって自宅に帰してしまうのである。
児童相談所が結愛ちゃんを帰すにあたって、両親に求めたのは次の5点だった。
・幼稚園に通わせる。
・週末は母方の祖父母のところで生活させる。
・育児支援外来の受診。
・結愛ちゃんの定期的な面会。
・暴力をふるわないという約束。
雄大は表向きはこうした条件を守りつつ、裏では優里へのDV、結愛ちゃんへの虐待をつづけていた。雄大は優里にこう言って虐待を正当化していた。
「児童相談所の人たちは他人だから結愛のことを考えていなくて、マニュアル通りに進めているだけだ。結愛のことを考えているのは、児童相談所でもおまえでもなく、俺なんだ」
思考する力を失っていた優里は、雄大の言葉が正しいと信じて疑わなかった。
この頃、優里は結愛ちゃんを抱きしめることができなくなっていたそうだ。理由は、雄大に「子供扱いするな」「くっつくな」と言われたためだという。それだけ、彼女の中で雄大の命令は絶対的なものになっていたのだろう。
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