戦場ジャーナリストが語る 紛争地域の知られざる「グルメ」とは
羊ひっくり返しメシ
人間は、どのような環境にいても「美味いものを食べたい」という欲から逃れることは難しい。裕福でなくても、いやむしろ過酷な状況下でこそ、そうした気持ちが強くなるという面すらある。貧乏時代のカップラーメンこそが美味かった、といった類の思い出を語る人が多いのもそのあらわれだろう。
世界各地の戦場や紛争地域の取材をしてきたジャーナリストの松本仁一氏は新刊『国家を食べる』の中で、数々の極限下での「グルメ」を紹介している。いずれも、日本と比べると決して安全とは言えない地域での料理だが、実に美味しそうに描かれているのだ。
たとえば、パレスチナの「マクルーバ」という料理(以下、引用はすべて同書より)。
「マクルーバはアラビア語で『ひっくり返す』という意味だ。羊肉を、タマネギやナスと一緒に塩とオリーブオイルで炒める。それをトマトの輪切りやナツメグと並べて鍋に敷く。そこにコメを入れ、クミンやシナモン、クローブなどの香料を加えて炊く。炊きあがったら、大きな皿の上に鍋ごとひっくり返す。鍋を外すと、炊き込みご飯の山盛りが現れる。それを取り皿に分けて食べる」
松本氏がこれを初めて食べたのは、1993年のパレスチナ。振る舞ってくれたのは、取材のために雇ったパレスチナ人の運転手、ムーサ君。近所の羊肉料理店に立ち寄ってマクルーバをテイクアウトして、ムーサ君の家に入ると――。
「子どもたちがワッと叫んで寄ってきた。この料理を待っていたらしい。居間の食卓に、奥さんが直径60センチはありそうなアルミの大盆を置いた。ムーサ君が深鍋のふたを取る。オリーブオイルと香辛料のいい匂いが部屋中に広がった。アルミ盆をふたの代わりにかぶせ、ドンとひっくり返す。鍋を注意深く持ち上げると、アルミ盆いっぱいに炊き込みご飯の山が出てきた。ナツメグやらナスやらが載ったご飯を、ムーサ君が注意深くほぐす。中から羊の大きなあばら肉が出てきた。ご飯には羊の味がじっくりしみ込み、おいしかった」
松本氏は勧められるまま何杯もおかわりをした。子どもたちも夢中で食べている。
当時のパレスチナは和平ムードに包まれていた時期だったこともあり、ムーサ君の話も楽観的だった。
和平になれば、仕事も増えて、子どもを大学に行かせることができる。そんな見通しを口にして、松本氏に「子どもの結婚式には呼ぶから、ぜひ来てほしい。そのときは、またマクルーバだ」と語っていたという。
イラクの鯉料理
当時のパレスチナは和平ムードに包まれていたため比較的安全な状況だったが、取材に訪れるのはもっと危険な地域も多い。2003年、松本氏はイラク戦争の最中、バグダットに赴く。ホテルのあたりでも銃弾が飛び交う状況なので、当然、レストランもろくに開いていない。しかし、そんな中でも美味いものに出くわすことがある。この時、彼が食べたのは、アラブ世界の鯉料理としては代表格の「マスグーフ」。たまたま鯉料理店が開いていることに気づいて、「しめた」と思い店内に。チグリス川産の鯉を生け簀に入れておき、客が来るとさばくという趣向である。
「親父さんが、客の注文の大きさの鯉を網ですくう。それを息子が受け、尻尾をつかみ、コンクリートの床に頭をたたきつけて気絶させる。続いてナタで後頭部を半分ほどたたき切り、血を抜く。(略)
内臓を取り出して背開きにする。中骨をぐりぐりとこじって身から外す。あまり切れそうにないステンレスの古い包丁だが、ここまで5分とかからない。見事な手際だ。
塩をして背側から横に串を2本打つ。囲炉裏のようなコンロに火を起こし、串を立てて強火であぶる。脂肪分がポタポタと落ち始めるが、やがてアジの開きのように身に薄膜が張り、中はほっこりした蒸し焼き状態になる。
その身をむしって食べるのだ。生け簀の水でしばらく飼っているためか、泥臭さはない。塩味が絶妙で、超特大の新鮮なアジの開きという味わいだ」
親父さんによれば、店を休んだのは川の対岸にある大統領宮殿が爆撃された日だけ。その理由は「生き物が相手の商売だから。休むわけにはいかなかった」という。
言うまでもないが、松本氏はこうした美味いものを食べるためにわざわざ危険地帯に出向いているわけではない。ただ、人々の生活を取材していくうえで、どうしても食は欠かせない。何を求め、何に喜びを感じるかを考えるうえで、基本的な要素だからだ。そして、一緒に美味いものを食べた人たちと、その後連絡が取れなくなってしまうことも多い。
マクルーバを一緒に食べたムーサ君の一家もバラバラのようだ。ムーサ君自身は、和平をあきらめ、スイスに出稼ぎに行ってしまったという。家に帰るのは年に1回程度。すでに上の子どもは30歳を超えているはずだが、松本氏のもとに結婚式の連絡はないという。