「記録的」「観測史上最強」の連発で、天気予報がオオカミ少年になる日
気象庁の見解は
かように“オオカミ少年”のごとき事態が繰り返されれば、天気予報は信用を失い、かえって国民の命を危険に晒しかねない。本当に危険で避難が必要な時、その警告が意味をなさなくなるからだ。防災システム研究所の山村武彦所長も、こう言うのだ。
「今年の九州南部豪雨では、鹿児島市全域の59万人に避難指示が出されました。この時、気象庁は『命に危険を及ぼす災害が発生するおそれがある』と異例の会見を行ったのですが、これを『最強』『最悪の』などと形容して報じた番組もありました。ところが、実際に避難所へと移った住民はわずか0・61%だった。もし来年、同じような豪雨が鹿児島を襲っても『どうせ何も起きないだろう』と考える人が出て、避難率はさらに下がってしまうおそれもあります」
予報を独自に“アレンジ”するメディアの責任はかくも重いのだが、こうした風潮を気象庁に問うと、
「(予報士の)報道の仕方などについては明確な指導要領や規則などはなく、当庁からもそのような指導は行っておりません」(広報室)
とのことで、断定調の予報や「最大」「最強」といった表現の多用についても、
「当庁から、特に申し上げることはありません」(同)
先の山村所長が言う。
「気象庁の予報には、大雨など災害の危険を伝えながら外れる『空振り』もあれば、その反対の『見逃し』もある。ただ、特に災害については『空振りはしても見逃しはするな』というスタンスをとっています。その一方でやはり『打率』も重要で、あまりに空振りが多いと、肝心な時に避難指示を出しても誰も本気にしてくれない。報じる側は、そうした危険性についても理解しなければなりません」
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