鳥谷、掛布をバッサリ…功労者を切り捨てる阪神タイガース“暗黒の歴史”を振り返る
阪神残酷史
球団の名選手に対する酷い仕打ちを振り返ってみよう。
●田淵幸一(72):3代目ミスタータイガース。1968年にドラフト1位で入団。75年には王貞治の14年連続本塁打王を阻止する43本塁打を打ち本塁打王に。しかし、78年11月、深夜に会社から呼び出され、西武へのトレードを告げられる。田淵は失望し、テレビや新聞で不満をぶちまけ、スッタモンダの末に移籍。西武では2度の優勝に貢献した。
●江夏豊(71):阪神のエース。66年にドラフト1位で入団。王から三振を奪うことにこだわり、日本記録更新となる354個目の奪三振を「王さんから取る」と公言し、実現してみせた。71年のオールスターでは9者連続三振、73年にはノーヒットノーラン、74年には150勝を達成。しかし、「(江夏個人は)159勝しても、優勝できないのは江夏がいるからだ」という声が上がりはじめ、76年に球団はトレードを通告。引退を考えた江夏を押しとどめたのが、トレード先だった南海の野村克也監督だった。結局、南海、広島、日ハム、西武と渡り歩き、“優勝請負人”と呼ばれた。
●掛布雅之(64):4代目ミスタータイガース。73年にドラフト6位で入団。79年、移籍した田淵の後を受け、主砲としてチーム新記録の48本塁打を放ち本塁打王に。82年、84年にも本塁打王となり、85年、21年ぶりのリーグ優勝、2リーグ制となり初の日本一に貢献した。87年に飲酒運転で事故を起こすと、久万俊二郎オーナー(1921〜2011)が「うちの4番は欠陥商品」と言い放ったことが引き金となり、88年の引退後はユニフォームを着られなかった。ゼネラルマネジャー付育成&打撃コーディネーターとして復帰できたのは、久万オーナーの死後だった。
●ランディ・バース(65):史上最強の助っ人。外国人選手ではプロ野球史上最多となる2度の三冠王を獲得。83~88年まで阪神に在籍。85年には、掛布、岡田彰布と強力なクリーンナップを形成し、優勝に貢献した。しかし、長男が難病を患い、治療を巡って球団と対立。88年のシーズン途中に解雇される。
[2/3ページ]