あの頃の日本はクサかった(中川淳一郎)

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 1970年代後半から80年代中盤の少年時代の夏を思い返すと必ずセットで浮かぶのが、「悶絶の臭気」です。いや、どの季節でも当時の日本はクサ過ぎた。まず、夏休みは福岡県浮羽(うきは)郡(当時)の祖父母の家に行っていたのですが、この家の便所がボットン式だったので、息を止めながら用を足すのが習慣でした。

 東京都国分寺市のいとこの家にも頻繁に行っていたのですが、そこは公営住宅で、同様にボットン便所です。週刊少年ジャンプが棚にズラリと並び、クソをしながらジャンプを読める家でした。用を足した後、しばらくいとこと遊び、さて家に帰る、という段階になると先ほどクソをしながら読んだジャンプとその次と次の号を自宅で読みたくなる。貸してもらい自転車のカゴに載せて家に持ち帰ったところ、外にいる間はわからなかったのですが、水洗便所の我が家にそのジャンプ3冊を置くと、猛烈な臭気を放つのです。

 週刊漫画誌に使われる紙というのは、ニオイを相当吸収するタイプのもので、何カ月にもわたってボットン便所に置かれ続けたジャンプはいとこ一家4人が溜めに溜めたウンコとおしっこの交じり合った臭気を身にまとっている。そのニオイが、我が家に入ると途端に輝きを放ち始めます。

 今でこそ駅のトイレもウォシュレット等のいわゆる「洗浄便座」付の便器が並び、キレイですが、当時は駅などの公衆便所はいずれも強烈な悪臭を放ち、これだったら野グソした方がマシだ!と思うほどでした。

 インフラの進化とともに、公衆便所はもはや恐ろしい存在ではなくなりましたが、今考えると昭和の人々はニオイにあまりにも鈍感だったのでは。

 小学6年生の時、理科の授業でジャガイモの水栽培をやったんですよ。4月上旬から、イチゴのパックに半分に割ったジャガイモを入れ、育てるのです。教室の後方にあるロッカーの上に並べた40人分のパックで、日々ジャガイモの芽が伸び、葉っぱも生えてきます。

 この段階では「うわ~、育ってきたね♪」と皆楽しんでおり、「おっ、田中のジャガイモ、すげー生えてきたな!」的雰囲気だったのですが、日々だんだんとクサくなっていく。野菜が腐敗し、怪しい茶色の液体が洩れ始めた時のニオイです。

 ゴールデンウィークは皆が学校に来なくなるため、水を多めにやってそのまま放置。GW明けに教室に入るとさらに猛烈な臭気を放っております。ジャガイモの水栽培は6年生の全5クラスがやっていたので、6年生のクラスがある4階には常に悪臭が立ち込めていました。

 しかしながら、200個のジャガイモのいずれからも新たなる「子ジャガイモ」など生まれることはなく、ひたすら葉っぱが伸びていくだけで、ただただクサくなっていく。そんな中で毎日授業をしているんですよ! それでも「まぁ、こういうものか」と思い、約2カ月の悶絶馬鈴薯臭気生活を続けたのです。期間が長過ぎただけに、大人になった後に同級生に会うと、多くが小学校最大の思い出は「クサかった」という、実に夢も希望もないものになってしまったのです。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんきつ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2019年9月5日号掲載

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