愛人に溺れる部下への上司の説教が歌に?! 「万葉集」はツイッターも真っ青の“エロ面白い歌”が満載だった!

エンタメ

  • ブックマーク

 中国の古典からではなく、初めて国書が元ネタとなった新元号「令和」。だが、その出典元の国書である「万葉集」は、日本初の和歌集とはいうものの、きちんと読んだという人はそう多くないだろう。そもそも和歌って、花鳥風月を詠んだり、恋してホロホロ泣いたりする、雅な感じでしょ?と思っていると、こと「万葉集」に限っては大きく裏切られるのだと、『エロスでよみとく万葉集 えろまん』の著書がある、古典エッセイストの大塚ひかり氏が教えてくれた。

「『万葉集』は、歌が定型化する以前に成立した歌集ですから、題材も様々。現地妻に溺れる部下にお説教する上司の歌や、ウナギや松茸などの食の世界が詠まれていたり、尿を題材にした歌まであります。約4500首中、2千首近くが作者未詳、つまり匿名性が高いのもSNSに似ています。まるでツイッターのつぶやきのようなのです」

 現地妻に溺れる部下へのお説教?! それが歌になるとは驚きだが、これを詠んだのは、なんと大伴家持。古典に詳しくなくても、名前は聞いたことがあるという人も多いのではないだろうか。歌人であり大貴族だった大伴家持は、部下が都(奈良)に残した妻と別れて、赴任先で知り合った遊女・左夫流(サブル)と結婚する!と言い出したので、「咎もない妻を棄てたり、重婚したりする者は法律的に罪になるんだよ」と律令知識を披露しつつも、こう歌でたしなめる。

「遠く離れた奥さんが君の便りを待っているさなか、南風で雪解け水があふれ、それが射水川(いみずがわ)に流れ込んでできた水の泡みたいに君は浮ついて、サブルなんて娘(こ)といちゃついて、2人で奈呉(なご)の海の底までのめり込んで、血迷っているなんて情けないぞ」【巻第18・4106・長歌の一部】

「離れ居て 嘆かす妹(いも)が いつしかも 使ひの来むと 待たすらむ 心さぶしく 南風(みなみ)吹き 雪消溢(ゆきげはふ)りて 射水川 流る水沫(みなわ)の 寄るへなみ 左夫流その児(こ)に 紐の緒の いつがりあひて にほ鳥の 二人並び居 奈呉の海の 奥(おき)を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ」(引用は同書より)。

 さらに大伴家持は「奥さんが待っているのに可哀想」「みんなの手前も恥ずかしい。サブルに骨抜きになった君の出勤する後ろ姿、尻つきがな!」などと反歌で説教。お節介な上司という感じもするが、都から来たエリート役人が、現地妻に夢中になっていることが噂になれば、地元の人々の手前、示しがつかなかったのだろう。

 ところが、ほどなくして、部下の本妻が都から乗り込んできたから大変だ。大伴家持はその様子も、ばっちり歌に詠んでいる。

「サブルが大切にしていた家に、鈴もつけない早馬が下って来た。町をどよめかせて」【巻第18・4110】

「左夫流児(さぶるこ)が 斎(いつ)きし殿に 鈴掛けぬ 駅馬(はゆま)下れり 里もとどろに」

 夫が入り浸る愛人・サブルの家に、都から本妻が早馬で駆けつけた様子、「里もとどろに」なんて、大伴家持、何だかニヤニヤしてそうだ。だから言ったのに……といったところだろうか。

 他にも「恋しいあの子に踏まれたい」なんて願望をあらわにする歌があったり、「なんであんなデブとくっつくのよ」と人の男をディスったりする歌もあるのだとか。

「後世であれば、決して歌にされないようなゴシップや軽口がうたわれています。それでいながら、後世の雅びな歌につながる美しい音や光景もうたわれている」(大塚氏)のが「万葉集」の魅力だそう。

 令和の世に、今も昔も変わらぬ人の営みの記録、時代を超えたSNSとして「万葉集」を読んでみてはいかがだろう。

デイリー新潮編集部

2019年9月6日掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。