うつ病、自殺未遂、生活保護をサバイブした女性がそれでも「男がいないと一人で生きていけない」現実

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「惰性」で9年間付き合った男

 精神病院を退院して、実家に戻ってきた。私は仕事が見つからず、持病のうつ病がどんどん悪化した。しばらくして、医者に勧められて精神科のデイケアに通った。

 しばらく通っているうちに年下の男性から告白された。太っていて眼鏡をかけていて、全く趣味ではない。本も一切読まず、学校も中学から行っていないという彼の話はあまり面白くなかった。

 けれど、私は「付き合ってもいいよ」と返事をした。精神病院を退院し、職もない私は社会の底辺の人間であって、人から好かれる要素はなかった。そんな私が人からの好意を拒否する権利があると思えなかった。それに、私はたいそう寂しかった。実家で母と暮らす毎日に飽きてきて、何か刺激が欲しかった。

 その意味では彼はとても刺激的だった。児童ポルノに手を出し、大量のDVDを買い込んでいた。「生でセックスをしてみたいので、アフターピルを飲んでくれ」と真顔で言ってきたし、一緒に本屋さんに行った時、彼が店員から呼び止められたので、何事かと思ったら万引きをしていた。

 私は別れたいと考えた。しかし、精神科デイケアという狭い世界で生きているとそれを実行に移すのが難しい。私たちはデイケアでは仲良しカップルのように思われていた。

 ある日彼に聞かれた。「なんで俺と付き合っているの?」。私は間髪入れず「惰性」と答えた。彼は惰性の意味がわからなくて固まっていた。それくらい頭が悪かった。彼は自分が中卒で頭が悪いということをコンプレックスに思っていて、時折、私に対して暴力的になったので、路上で泣きながら彼に許しを請うたこともある。

 彼は見捨てられる不安が強くて束縛が激しかった。私がちょっと外出するとメールや電話が何回も来るので安心して外にも出かけられない。

 ある日、デイケアのメンバーとファミレスでご飯を食べたら「俺が家でこんなに苦しんでいるのに、お前は楽しみやがって」と首を絞めてきた。彼は生活保護を受けていて、引きこもって毎日アパートでゲームをしていた。私は首を絞められながら、こんなところで死ぬのかな、でもそれも私らしいのかもしれないと諦観していた。

 そのうち、働き始めた私を彼は引き止めるようになり、仕事中にもたくさんメールや電話が来て、仕事がままならなくなってきた。そして、帰宅すると駅まで私を迎えにきている。一緒にスーパーに行き、食材を買う。私が作った料理を働いていない彼は「おいしい」と笑顔で食べる。

 私はこの人と別れないと自分の人生がダメになると確信し、全力で別れることにした。家の合鍵をなんとか返してもらったが、それでも、突然アパートに押しかけてくる。激しい嵐の夜、元彼は傘もささずに私のアパートにやってきた。嵐でひどいから入れてくれということだろう。私はずぶ濡れの元彼の姿を見て笑いながらドアを閉めた。

 それからは連絡が少なくなったと思う。書ききれないほどひどいことをされて言われてきたが、思い起こせば、あの日々の中で「寂しい」という感情はなかったと思う。苛立ちや怒りが多い9年間ではあったが、寂しさだけからは避難できていた。

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