うつ病、自殺未遂、生活保護をサバイブした女性がそれでも「男がいないと一人で生きていけない」現実
ブラック労働、うつ病、自殺未遂、生活保護……凄絶体験を自伝的エッセイ『この地獄を生きるのだ』『わたしは何も悪くない』として発信、NHK「ハートネットTV」「あさイチ」でも紹介され反響を呼んだ漫画家・文筆家の小林エリコさん。共依存状態だった母親の支配下から抜け出すべく一人暮らしを始めた19歳の頃から、無事生活保護を切り社会復帰した現在に至るまでの「苦難の道程」を振り返ります。
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正社員なのに月給は12万円
一人暮らしを初めてしたのは短大生の時だった。
実家から家族が全員出ていくという、比較的変わった一人暮らしの幕開けだった。私は家族が出て行った日、家の大掃除をした。カーペットを捲り上げ、ガーガーと掃除機をかける。冷蔵庫の中には母が残していった漬物や作り置きの食事があったが、それらを躊躇なくゴミ箱にぶち込んだのち、誰の支配も受けない生活を1年半ほどした。
その後、事情があり、再び家族と暮らすことになったのだが、私は就職浪人をして、ほとんど自室にこもりきりだった。酒を飲み荒れる私を見て、友人は「家を出た方がいい」と口を揃えて言った。私もこのままでは自分がダメになると思い、東京の上石神井で一人暮らしを始めた。20歳の初夏だった。
ほどなく仕事を見つけ、働きながら一人暮らしを始めたのだが、正社員なのに月給は12万で、残業代も社保もない。アパートに帰ると一人で缶ビールを飲んだ。お金もなくて、どこにも遊びに行けない私はきっと、悲しそうな顔をしていたと思う。
そんな私に声をかけてきたのは会社の先輩だった。先輩は私より8歳上で、痩せ型の男だった。しばらくして、仕事帰りに先輩とよく飲みに行くようになり、ある日先輩から「好きだ」と告白され、びっくりした。しかし、彼氏がいたことがない私は嬉しくなり先輩を受け入れることにした。
私は人生初の彼氏に浮かれていたが、相手はそうではなかった。先輩は私の家に何回も来ていたが、私は先輩のアパートどころか最寄り駅すら教えてもらえない。そして、先輩は「同郷の男の友人と住んでいる」と言うのだが、その友人には決して会わせてもらえなかった。先輩はアパートに固定電話を引いていたので、何回かかけたけれど同郷の友人が出たことは一度もなかった。
先輩が家に来ない平日はつまらなかった。一人でスーパーに行き、食材を買う。お金がないので、たいしたものが買えず、鶏胸肉ともやし、缶ビールを2本買った。それらをスーパーの袋に詰め、一人で家路を急ぐ。時々男女のカップルとすれ違う。夫婦だろうか、恋人だろうか。私はなんとなく胸の奥が苦しくなった。下げたスーパーの袋は重く指に食い込む。鶏胸肉を切り、もやしと一緒に鍋で煮た。それにポン酢をかけて食べる。缶ビールを一人で開けて、テレビをつけた。私は寂しくて先輩が家にいてくれたらいいのにと思った。
先輩は週末に家に泊まるようになった。私は嬉しかったけれど、一緒にDVDを見ている最中にセックスを強要されて困ってしまった。先輩に抱かれながら、レンタルビデオ店の入会金とビデオのレンタル料の金額が頭でぐるぐるしていた。
日曜日に新宿に出かけようということになり、二人で電車に乗った。私は男の人とデートできるのが嬉しかったけれど、先輩はつまらなそうだった。喫茶店でコーヒーを飲みケーキを食べて、本屋さんをのぞいたりした。
その後、先輩が路地裏に消えた。店構えを見るといかがわしい店のようで、私は一緒に入るのをやめて店の前で待った。先輩が嬉しそうに私によこしてきたのはピンクローターだった。私が彼氏から始めてもらったものは大人のオモチャだった。
先輩は思い返すと、随分ひどい人だったと思う。私が作った料理を「まずいから」という理由で拒否し、スーパーのお惣菜を私の目の前で食べたし、「これ、やるよ」と言って渡してきたものは花束でもアクセサリーでもなく、中古ゲーム店で買い取りされなかった「チョコボの不思議なダンジョン」というゲームソフトだった。
そんな人とでもなぜ付き合い続けていたのかといえば、私は初めてできた彼氏を手放したくなかったからだ。先輩が来る前、薄いアパートの壁の向こうから男女の楽しそうな声が聞こえてきて、いつも私は憂鬱だった。私は一人になるのが嫌だった。
私はしばらくして、貧困と過労で自殺未遂をした。一命を取り留めたのち、精神病院に入院した。私は先輩の家に電話をかけた。先輩は「二度とかけてくるな」と言った。
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