「ソ連」極秘世界地図「レッド・アトラス」が捉えていた「1966年の皇居」

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 長年、旧ソ連が秘密裏に作成していた世界地図は、その精緻さと膨大さにおいて西側諸国の地図を凌ぐものだった――。「レッドアトラス」と呼ばれ、現在のロシアでもいまだに機密扱いとなっているというそれらの地図だが、ソ連崩壊後の混乱の中で、一部はいくつかのルートを通って西側に流出した。

 その「レッドアトラス」研究の第一人者が、英国地図製作協会会長を務めるアレクサンダー・J・ケント氏(英国カンタベリー・クライスト・チャーチ大学準教授)である。今年3月、同じく英国の地図研究者であるジョン・デイビス氏との共著『レッド・アトラス――恐るべきソ連の世界地図――』(日経ナショナルジオグラフィック社)を上梓したケント氏が、7月中旬、国際地図学会議東京大会に参加するために初来日した。

 第2次世界大戦から冷戦終結までの間に、ソ連は全世界2200都市の詳細な市街図を作成したと言われている。ケント氏は学会で、「レッド・アトラス」で使われた地図記号の体系や、実際の作成過程について、長年の分析の結果を披露した。さらに、東京での会議ということで、1966年に作成されたソ連製「東京市街図」に焦点をあてた分析結果も発表した。

 来日に合わせ、単独インタビューにも応じた。

――「レッド・アトラス」は、どのようにして西側に流出したのでしょうか?

 市街図の流出元は当初、1カ所でした。旧ソ連構成国で、今はEUの加盟国でもあるバルト三国のラトビアです。

 首都であるリガの近郊には、ソ連時代に地図作成所の1つがありました。冷戦の終結に伴ってバルト諸国がソ連から独立し、ラトビアからソ連軍が撤退した際、地元の地図編集者がレッド・アトラスの存在を知って興味を持ち、「地図を譲り受けることはできないか」と現地のソ連軍に交渉したのです。

 ソ連軍の担当者は「そういった聞き方では許可することはできない」と答えつつ、「その代わり、我々はそれらの地図を廃棄する予定なので、“古紙を処分したい”という申し出ならば許可できるだろう」と話した。貨物列車6台分ほどの量の地図があったと言われています。

 さらにサイドストーリーも伝えられていて、そのようにして買い取った地図を地図編集者が庭で保管していたところ、地元の子供たちが(いたずらで)火をつけて燃やしてしまい、一部だけなんとか救い出したそうです。

 1993年にドイツのケルンで国際地図学会議が開かれた際、それらの地図が公開されました。ただ、それが本当にソ連製地図だと確認されるまでには、かなりの時間がかかりました。私の共著者であるデイビスは、レッド・アトラスを求めてラトビアまでいきましたし、私自身もカザフスタンで地図を入手したことがあります。

 西側でレッド・アトラスの存在が知られるようになったのは、かなり最近の話です。1993年になって、ソ連の機密情報が明らかになり、彼らが非常に詳細な地図を作製していたことがわかった。それ以前は、東京の地図も含め、ソ連にこういった地図があること自体、西側では知られていなかったのです。

――1966年のソ連製の東京地図からは、具体的に何が読み取れるのでしょうか?

 この地図は非常に詳細に作られています。特に注意を引くのは、『戦略的重要目標物』が記載されていることですね。東京の場合、377個の『戦略的重要目標物』の一覧表が付いてます。単に重要だというだけでなく、それぞれに詳細な情報も書き込まれています。例えば工場だったら、工場の名前の他に、どんなものが作られているのか、どんな材料を使っているかなどの情報が記載されています。 

 水に関する情報も非常に詳細で、浚渫工事によって東京湾とつながった水路や、河川の流れる方向もわかるようになっている。66年の東京地図にはそこまでの記載はありませんが、ソ連製の市街図では、河川の流速や、畑で作られている作物の種類まで、体系化された地図記号によって一目でわかるようになっています。

――『戦略的重要目標物』について、例えばこの地図では皇居が戦略的重要目標物37番に指定されていますが、彼らは東京を爆撃しようとしていたのでしょうか、あるいは占領を企図していたのでしょうか?

 とても良い質問です。この東京地図では、『戦略的重要目標物』がすべて黒く着色されています。これがもっと後の時代に作られた地図になると、軍事施設は緑、行政機関は紫、軍需産業は黒、といった具合に、より細かく色分けされるようになります。

 そういった後期の地図なら、単に重要か重要でないかだけでなく、どのような観点で重要なのか読み取ることができますが、東京の場合は早い時期に作成された地図なので、目的別に色分けされておらず、皇居も黒色です。おそらく、もう少し後の時代の地図では皇居は紫色に塗られていたと思います。

 彼らの目的は、まずは情報を全て収集するということでした。あらゆる情報を集め、その後で目的を決めるということだったのでしょう。彼ら共産主義者の思想を考えると、攻撃の対象というよりは、地図を見ながら、今後これらの都市の「統制」を考えるという目的があったのではないかと思います。

――1966年より新しいソ連製の東京地図は見つかっていないのですか?

 東京の市街図という意味では、この66年地図が我々の把握する唯一のものです。さきほど2200都市の地図があると言いましたが、これらは1944年から91年の間に作られたもので、その大多数は、衛星技術が非常に発達し、現地に行かなくても地図作成が可能になった1970年代以降に作られています。

――ソ連はどのようにして「レッド・アトラス」を作ったのですか?

 衛星技術が登場する以前に関して言えば、主に2つの方法がありました。1つは航空写真を利用する方法。もう1つは、対象の国ですでに作成された地図を写し取るという方法です。

東京地図の場合も、隅に出典が書かれていて、「1962年、5万分の1」とあります。62年に日本で作製された地図をもとに作られたというわけです。

 他に例えば、1964年製の北アイルランド・ベルファスト(英国)の地図があります。英国の陸地測量部が作成した縮尺7920分の1の地図を出典にしていると言われています。その拡大版である、ドイツ製の1万分の1地図も出典の1つとして示されています。

 興味深いのは、まだ経済的に発展していないエリアの地図を見ると、道路名などの情報が記載されていません。こうした地区では、現地でも地図が作成されておらず、ソ連が衛星写真に頼って作成したため、現地での道路名などがわからなかったということでしょう。

 1970年代以降、衛星を使った地図作成が主流になると、出典情報が記載された地図は少なくなっていきました。ただし、衛星情報や現地地図からだけでは入手できない情報も、ソ連の地図には書き込まれています。

 例えば橋なら、橋桁の高さ、荷重まで記載されています。これは、戦車を通らせる時に何キロくらいまでなら橋が耐えられるのか、といった観点で書き込まれたと思われます。このような情報は、実際に誰かが現地に行って高さを測ったり、車で橋の上を走ったりしないと得られないので、恐らくそういうことをしていたのだろうと思われます。衛星写真や既存の地図に加え、現地で足を使って測量したのではないか。非常に興味深いことだと思います。

――「レッド・アトラス」と、米国や英国などの西側諸国の地図では、どのような点が最も違うのでしょうか?

 最大の違いは何と言っても、その情報量です。ソ連は非常に豊富な地図記号の体系を導入しています。

 私はかつて、欧州20カ国の地図を調査したことがありますが、その中でもっとも多くの地図記号を備えていたのが、旧ユーゴスラビア構成国の1つ、スロベニアでした。スロベニアの地図には、「泉」や「洞穴」といった記号を含む、200種類以上の記号が導入されています。ちなみに英国の地図記号は、おそらく150種類ほどです。

 それに対してソ連は、なんと400種類もの記号を使用しています。欧州でもっとも多いスロベニアの、実に2倍の記号体系なのです。

 記号に加えて、さきほども話したように橋桁の高さや荷重、河川の深さ、川底の土壌、道路の幅など、物理的な注釈の豊富さも、西側の地図には見られないレベルです。

 それから軍事施設ですね。各国の陸海軍の基地がどこにあるのか、といった情報も、レッド・アトラスで詳細に知ることができます。また西側の市街図は海岸線で止まっていることが多いのですが、ソ連地図は陸地の地図と付近の海域図を融合させた形で作製されています。これは例外的にフランスが同じスタイルなのですが、西側では非常にまれです。水の流れる方向や流速が、細かく書き込まれています。

――現在のロシアにも、こういった地図作成は引き継がれているのでしょうか? 

 ソ連が崩壊した1991年以降に作成されたレッド・アトラスのうち、我々が把握している市街図は2点だけです。1つは英国のファルマスという街のもので、港湾や海軍施設が書き込まれています。縮尺は2万5000分の1で、出典に関しては、隅に「©VTU」と書かれています。VTUとはソ連軍参謀本部軍事測量局を意味します。もう1つの地図は、カナダのバンクーバーのもの。2003年製で、縮尺はやはり2万5000分の1です。

 どちらの地図でも、ソ連時代のものと同じ地図記号が使われていますから、冷戦後もロシアで地図作成が継続されていることを窺わせます。今はデジタルの時代ですから、ソ連時代よりもさらに膨大な情報が集まっているのではないかと思います。

 インタビューは以上。著書で紹介されているレッドアトラスの一部は、ケント氏らの運営するウェブサイトで閲覧、購入することができる。

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Foresight 2019年8月28日掲載

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