歴史を学べば日韓友好は進むのか 『検定版 韓国の歴史教科書』の困った内容
朝鮮光復軍は連合国軍とはなりえなかった
1941年になると「大韓民国臨時政府は日本に宣戦布告し、韓国光復軍を連合国の一員として参戦させた」ということになっています。しかも、次のように続きます。
「イギリス軍の協力要請でインド、ミャンマー戦線に派遣された光復軍は主に宣伝活動や捕虜の尋問を担当した。また、アメリカと連合して国内進攻作戦を計画した。(中略)しかし日本が予想より早く降伏したため、国内進攻作戦は実行されなかった」
またしてもこの教科書は、臨時政府が国家であるとミスリードしています。「宣戦布告」といっているからです。そのずっと前から抗日運動はしていて、日本と戦う意思、その大義は唱えていたのですから、わざわざ1941年になってこれを出したのは、臨時政府が国であり、その軍隊「韓国光復軍を連合国の一員として参加させた」、だから連合国の一員だといいたいのです。
ところが、韓国の歴史教科書によると、その「韓国光復軍」なるものは、日本軍と戦場で戦ったのではなく、インドやミャンマー(ビルマ)に派遣されて「主に宣伝活動や捕虜の尋問を担当した」ということです。つまり、抗日勢力の一部が英米の諜報機関(イギリスMI6、特殊工作局〈SOE〉、アメリカ戦略情報局〈OSS〉)にリクルートされ、日本軍の中にいる朝鮮半島出身者向けのプロパガンダ製作を行ったり、朝鮮語による尋問をしたりしたということです。「軍」という規模でもなく、内容も軍事活動ではなく諜報活動だったことは明らかです。
実際にアメリカ側の資料を読みますと、「朝鮮光復軍」(Korean Restoration Army)は存在したのですが、それは重慶にあって中国軍事委員会(Chinese Military Council)の指揮下にありました。つまり、独立の軍事組織ではなく、中国国民党軍のなかの一組織だったのです。人数にいたっては、少なくともこの組織内では、かき集めても200人にしかならなかったと記されています。
満洲にも別組織の「朝鮮光復軍」がありましたが、こちらは3千ほどです。やはり独立組織ではなく、中国共産党ゲリラと一緒になっていました。おそらくこちらの「朝鮮光復軍」から現在の北朝鮮の礎を築いた指導者が出てきたのでしょう。
なぜ、「韓国光復軍」(教科書にはそうある)なるものがわざわざインドやミャンマーに派遣され「主に宣伝活動や捕虜の尋問を担当した」のか謎がこれで解けます。中国兵と一緒にならない限り、満州や中国の戦場で日本軍と戦う人数にとても達しなかったのです。
「韓国は日本と戦っていない」というのがアメリカの立場
のちにアメリカ国務長官顧問ジョン・フォスター・ダレスは、李承晩が「署名国としてサンフランシスコ講和会議に参加したい」と要求したとき「韓国は日本と戦争状態にあったことはなく、連合国共同声明にも署名していない」としてこれを拒否しますが、それがなぜなのかよくわかります。つまり、連合国として日本軍と戦ったというに値する実績が韓国にないのです。だから会議に参加する資格はない、ということです。朝鮮にくらべればフィリピン、ビルマ(現在のミャンマー)、インドネシア、マレーシアの方が日本軍と戦ったしっかりした実績をもっています。
米英を裏切ろうとした李承晩
カイロ会談(1943年11月)で「日本敗北の後、朝鮮を独立させる」と決議したのは、英・米・ソには日本の敗戦まで、実際には1948年まで、朝鮮を独立国にするつもりがなかったからです。
ところが、日本の敗戦前の1945年4月から国際連合を発足させる準備がサンフランシスコで始まり、李承晩は大韓民国臨時政府から代表を送りたいと申し出ます。しかし、前述の理由で、英米はこれを却下します。
これに対し李は、ソ連はヤルタ会議で朝鮮を日本が戦争に敗れるまで自国の勢力下に置くことを密約したので、臨時政府代表を受け入れるかどうかは英米が口出しするところではないと食い下がって、英米両国を怒らせます。これも、なんとしてでも、国として認めてもらいたい、国際連合に参加したいという願望の表われといえます。こういうわけですから「アメリカと連合して国内進攻作戦を計画した」はファンタジーとしかいいようがありません。そもそも、歴史とは「あったこと」を書くのであって、「計画した」こととか「しようとした」ことを書くものではありません。ところが『検定版 韓国の歴史教科書』の現代史の部分にはあまりにも未遂に終わったことの記述が多いのです。
なぜ、そうするのかは明らかです。朝鮮人からなる抗日勢力が1919年の段階から独立を宣言し、政府を樹立していた。1941年に国として日本に宣戦布告し、連合国の一員として戦争状態に入り、連合国の勝利によって戦勝国となった。このような虚構を本当らしくするためです。
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