梅宮アンナが「透析の父」「膠原病の母」の介護で得た「気づき」
両親がともに病気を発症したり、介護が必要になったりすれば、子世代とりわけ一人息子、一人娘の負担は想像するに余りある。そんな苦労のさなかにいる梅宮アンナ(47)だが、本人の話には、乗り越えるための知恵が満載――。
しかも、アンナはシングルマザーだから、夫の手を借りることもできないが、
「いまの生活が大変だとは、あまり思いません。親が80歳を超えたころからなんらかの介護が始まるのは、どこの家庭でも同じでしょうし、私より大変な人はたくさんいると思います」
と本人。だが、最初からそう思えたわけではない。
「去年、両親がほぼ同時期に病気になりました。父は前立腺がんと尿管がん、母は膠原病。両親は松濤の家を売り払って真鶴に移り住みましたが、当初は生活が大きく変わり、“私には頼れる人がいない”と気づいて不安にもなりました。それでもできるだけ真鶴に通っていると、だんだん自分が疲れていき、両親との衝突も増えました。そこで話し合った結果、よい距離感を保つために、最低限だけ会うことにしたのです」
また、父と母の間の距離感にもアンナが留意しているそうで、たとえば、
「松濤の家が気に入っていた母は、真鶴には友だちもいません。だから母を気分転換させるのが私の役目だと思っていて、2人で韓国に旅行もしました。母が出かけるとき父は“どこ行くんだ”と聞きます。父も心細いのでしょうが、母も家にいるとストレスが溜る。母が出かけたほうが父にとってもいいんです」
さて、アンナが保っている両親との距離感だが、
「週に1度くらいは真鶴に行って、金曜夜から月曜朝ぐらいまで両親とすごしています。土曜朝、私が目を覚ますと母が私のほうを見ます。“モーニングに連れて行って”という意味だとわかるので、私が運転して熱海の喫茶店に連れていきます。お昼前に帰宅して3人で昼ご飯を食べ、サスペンスや昔のドラマを一緒に見たりします。夕食は家で作るときは、父が自分で運転して買い出しに行きます。父の料理はお酒のアテみたいなのが多く、母と私は別のものを食べたりもしますが、それでも同じ食卓を囲むようにしています」
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