中山忍が「姉の呪縛」を乗り越え「2時間ドラマの新女王」になるまで
出来過ぎる兄や姉を持つ弟や妹は、とかく苦労が絶えない。80年代を代表するアイドル“ミポリン”こと中山美穂の妹で、“2時間ドラマの新女王”と呼ばれる女優の中山忍(46)が歩んだのは、平坦なばかりの道のりではなかったはずだ。
中山忍のデビューは、1988年放映のドラマ「オトコだろッ!」だった。芸能界入りのきっかけは、スカウトだったという。中山本人によれば、
「姉が初めて海外ロケに行く時、家族で成田空港へ見送りに行きました。その時、ある男性に声をかけられて、喫茶店で“部活は何をしているの?”など根掘り葉掘り聞かれたのです」
その男性こそ、後に「鬼平犯科帳」などの監督を務めた、吉田啓一郎氏だった。
姉の活躍をテレビの画面越しに観ていた中山は、芸能界に華やかなイメージを抱いていたものの、
「人見知りが激しくて、“笑って下さい”と言われる度に顔がこわばる始末。取材でも姉の話を聞かれると、“はい”、“いいえ”、“そうですね”くらいしか答えない時期もありました。中山忍という人間はどこへ行ったのか不安になり、ひねくれていたのかもしれませんね」
当時は歌手としても活動していたが、
「歌がとても下手だったんです。歌詞も覚えられなくて、2番の歌詞を1番で歌ったり、曲の終わりが分からなくて歌い続けたこともありました」
いつ消えてもおかしくないアイドル生活のなかで、
「下手なりに面白いと思えたのがお芝居の現場でした。特に思い出深いのは、19歳の時に出演した『刑事(デカ)貴族3』です」
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