「天皇陛下」が36年前の英国留学で養った人生観 機密文書でひもとく

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インテリジェンスの大切さ

 一方の英国政府は常時、国王あるいは女王に外交問題を含む詳細な情勢報告を上げている。首相がバッキンガム宮殿で行うブリーフィングに加え、閣僚も王室の別荘のサンドリンガム宮殿に足を運び、中には情報機関からのデリケートな報告もある。政治に介入しなくても、立憲君主は国際情勢に精通すべしというのが英国の伝統だ。

 わが国では、昭和初期に政府や軍部が天皇に正確な情報を上げず、その権威だけを利用し、それが日中戦争や太平洋戦争につながった。米国主導で導入した新憲法下でも状況は変わらず、危機感を覚えた昭和天皇は、独自に情報を入手しようとしたようだ。それを私が知ったのは、ある音声テープを聞いた時である。

 戦後長く天皇の通訳を務めた宮内庁侍従職御用掛の真崎秀樹は、海外の要人とのやり取りを詳細にノートに記録したが、生前、ある米国人記者の求めで、その内容を英語でテープに吹き込んだ。その30時間以上に及ぶ“真崎テープ”を入手して聞いたのだが、驚いたのは、昭和天皇が極めて生々しい政治的な会話をしていた事だった。

 例えば前シンガポール駐在英国総弁務官に接見した際は、インドネシアの共産党の動きを、米国の元国務長官にはカンボジア和平の見通しを、また世界有数の財閥ロックフェラー家とはアジアの共産化阻止について話していた。日本政府を介さず、これら海外の要人から直接、国際情勢のインテリジェンスを収集したのだ。

 また、側近の入江相政侍従長も、右翼の黒幕で国際的フィクサーの田中清玄から海外情報を入手し、天皇に届けていた。田中は中東の油田権益獲得など様々な事業を手掛け、欧州の名門ハプスブルク家の当主オットー大公や中国のトウ小平、山口組3代目の田岡一雄組長など内外の幅広い人脈で知られた。

 田中の元秘書によると、田中は入江侍従長と時折、都内のホテルで夕食を共にし、海外で得た情報を「これは大事なので陛下のお耳に入れて欲しい」と伝えていた。また秘書が、夜中に人目を忍んで入江の自宅を訪れ、レポートを渡す事もあり、田中自身も晩年に自伝で、こう語っている。

「陛下にはその後、天皇誕生日なんかにおめでとうございますと書いてお届けすると、入江さんが陛下のところに持っていかれたようで、『田中は元気だね』って笑っておられたと伺ったことがあります。それから入江さんから電話があって『この問題を田中はどう言っておるか』と。それで入江さんとお会いして、2人でよく話しました。国際問題が中心でしたねえ」

 かつて欧州を支配したハプスブルク家は、東西両陣営を超えた多数のシンパを抱え、各国指導者の近況など確度の高い情報が集まる。それは当主のオットー大公から田中に回り、日本語に訳されて入江に渡った。また山口組の田岡組長とも終生の友情を結んだ田中は、裏社会の動静にも通じていた。

 ハプスブルク家や山口組とつながるフィクサーと天皇の連携と言っても、ピンとこない読者もいるかもしれない。また象徴であるはずの天皇が、ここまで政治的言動をするのは憲法に触れると指摘する向きもあるだろう。

 だが、なぜ、ここで私が皇室の情報ネットワークを長々と書くかというと、誰よりもインテリジェンスの大切さを熟知し、その収集に神経を払ったのが昭和天皇だったからだ。そこには戦前から戦中に情報を持たず、国を崩壊させた事への痛切な後悔があったのではないか。だからこそ、時の政府に警戒心を緩めず、国政を報告する「内奏」も鵜呑みにしなかった。それは、かつて英国政府がアドバイスした立憲君主像と重なる。

 令和を迎えた今の世界は、各地でナショナリズムが高まり、米国と中国などの覇権争いは第2次大戦前のようなきな臭さも感じさせる。そうした中で、日本国の象徴である天皇の各国要人との接見、「お言葉」は、これまで以上に注目される。その前提として正確な情報、インテリジェンスが欠かせないのを、側近は肝に銘じるべきだろう。

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