「天皇陛下」が36年前の英国留学で養った人生観 機密文書でひもとく
インテリジェンスの先進国として有名な英国。その公文書館には、日本の皇室に関する機密文書も大量に眠る。天皇陛下は36年前、オックスフォード大に留学された。ここ数年に機密解除された陛下の留学に関する文書をひもときながら、新天皇像を模索する。
5月下旬、天皇・皇后両陛下は、令和初の国賓として来日したドナルド・トランプ大統領と皇居で会見した。宮中晩餐会でも通訳を介さず、大統領夫妻と和やかに懇談する姿は、米CNNなど海外メディアも大きく紹介し、新時代の皇室を強く印象づけた。
人間は誰でも成長の過程で、その性格や人生観に影響を与える体験をする。そして、それは生涯に亘って行動原理を大きく左右する要素となりやすい。天皇家とて例外ではないはずだ。
昭和天皇が皇太子時代の欧州歴訪を生涯の心の拠り所にしたように、戦後間もない欧米外遊が上皇の性格形成に影響した。そして新天皇にとって、それは今から36年前の英国への単身留学だったかもしれない。
1983年6月、学習院大学を卒業したばかりの浩宮は、2年余りに及ぶ英国留学へと出発した。オックスフォード大学でテムズ川の水上交通史を学ぶためで、退役軍人のトム・ホール大佐宅にホームステイして語学研修を受け、一般学生と寄宿舎で生活した。また欧州各地を訪ねる傍ら、エリザベス女王ら王室と交流するなど、これほどの長期間、皇族が海外に出るのは異例だった。
後に出版した回顧録『テムズとともに』で、陛下はオックスフォードでの日々を「とても一口では表現できない数々の経験を積むことができた」「その多くが今日の私の生き方にどれだけプラスになっているかは、いうまでもない」と語っている。
生まれて初めて銀行に行って両替をし、クレジットカードで買い物した事、パブでビールを注文してまごつき、主人から胡散臭そうな目で見られた事、ジーンズでディスコに出かけて入場を拒否された事がユーモラスに描かれていた。
明治維新以来、同じく立憲君主制の英国は日本近代化のモデルになったが、その彼らにも、将来の天皇の留学は重大な関心事だったようだ。じつは、ここ数年、浩宮の留学に関する英国政府の文書が相次いで機密解除されている。
例えば、1984年2月のある土曜日、当時のマーガレット・サッチャー首相は、ロンドン郊外の別荘へ浩宮を昼食に招待したが、その前日、英外務省から首相官邸の側近に送られたファイルがある。
浩宮は当時23歳、最初は語学力に不安もあったものの、オックスフォードでの勉学は順調に進んでいるそうだ。ピアノやチェロ、ビオラなど楽器を嗜み、「少しシャイだが好感が持て、最初は打ち解けないが、とてもリラックスして話せる若者」という。
そして外務省はサッチャー首相に、食事中の会話を通じ、祖父である昭和天皇の健康状態をそれとなく探るよう依頼していた。
その前月に天皇に離任の拝謁をした駐日英国大使によると、年齢に伴う衰えこそあるが、82歳にしては元気そうだったという。念のため身内から情報を取る目的で、さらに日英の貿易不均衡など経済問題も念頭に置くよう促していた。週末の寛いだ雰囲気の昼食も、熾烈な外交の舞台だった訳だが、その翌年のファイルはもっと露骨だった。
[1/4ページ]