吉本問題で横山やすしが懐かしい…ヤクザと兄弟盃、無免許飲酒セスナ操縦の破天荒
「やっさんだけは桂春団治と同じぐらいみんなの記憶に残って永遠に語り継がれるタレントになるだろうと思っていたけど、もう大阪でも誰も語っていません。そんなもんですよ。春団治は歌に歌われているけど、やっさんはそうなっていない」
と話すのは、朝日放送で「てなもんや三度笠」「新婚さんいらっしゃい」などを手掛けたメディア・プロデューサーの澤田隆治氏。やっさんこと横山やすし(享年51)との出会いは1957年で、その後の漫才ブームの火付け役でもある。
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やすしは70年12月、ヨッパライ無免許運転中にタクシーと接触、運転手を殴打し、全治1週間のケガを負わせた。それは、このあと20件近くに及ぶ“不祥事ヒストリー”“イエローカード履歴”の幕開けでもある。
晩年の95年頃には、山口組の若頭補佐だった中野太郎が率いる中野会の若頭補佐・竹垣悟と兄弟盃を交わしてもいる。ともあれ、澤田氏は最初のイエローカードを振り返って、
「知り合いの新聞記者から、“やっさんは無免許や”と言われましたが、“そんなアホな。やっさんはグアム島で買うた国際免許もってるはずや”と返しました。しかし、“あれ、免許証の申込用紙やったんやて”と。万事休すでしたね」
やすしはセスナ機を購入して操縦もしていたが、これも無免許疑惑があるほか、
「酔っ払いながら飛行機から降りてくるんですよ。そんな破天荒な人いますか? ただね、彼ほど愛すべき人はいませんよ。不器用過ぎただけで……」
とヨッパライ操縦を証言するのは、大村崑。
「全盛期は稼いでいましたが、ケガして、包帯巻いてしょっちゅうウチに来ていました。“(所属先の)吉本に干されてしまった。お師匠さん仕事ください。嫁が相方で2人で漫才やりますから”と頼ってきましたね。よっぽど切羽詰まっていたんでしょう」
やすしはそれこそ小さなころから大村を見て育った世代だから、“お師匠さん”と呼んでいたのだ。
「僕を見ると直立不動でね。先輩、後輩、同輩、その扱い方が実に鮮やかで軍隊にいる人みたいでした」(同)
89年4月、愛車を運転中に人身事故を起こしたが、その時も酒が入っていた。たんまり貯まったイエローカードに業を煮やした吉本は契約解除を通告。不世出の漫才師の命脈が絶たれた瞬間だった。その後も映画出演、参院選出馬、暴漢からの謎の襲撃……と事件の主役であり続けた。
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