「個人M&A」で溶かしますか(古市憲寿)

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 フジテレビの選挙特番で「個人M&A」の取材に行ってきた。

 M&Aとは企業を合併・買収すること。ニュースでよく報じられるのは大企業のM&Aだが、個人が企業を買うのがちょっとしたブームになっているらしい。

 取材に行った「トランビ」という会社のウェブサイトを見ると、本当にたくさんの会社や事業が売りに出されている。

 たとえば大阪府にある「地域で愛される英会話スクール」。売上高は500万円で利益は赤字。売却希望価格は250万円から500万円。「目の前に絶景の海が広がるホテル」は売上高は2500万円以上あるものの利益は赤字。1千万円から3千万円で買えるらしい。

 数百万円から数千万円で手に入る「お手軽な」案件がたくさんあるのだ。

 個人M&Aが注目される背景には、日本社会の高齢化がある。経済産業省によると、2025年までに127万社の中小企業が廃業の危機にあるという。後継者がいなかったりして、事業承継ができないのだ。しかし、会社を廃業するのは法律的手続きが大変だし、従業員が路頭に迷う可能性もある。

 そこで個人M&Aの出番となるわけだが、問題は買い手。果たして誰が赤字の塾やホテルを買うのか。もちろん黒字の事業もあるが、それでもいきなり会社なんて承継できるのか。

 取材では学習塾を個人M&Aした青年に話を聞いてきた。サラリーマンとして働いていた32歳の彼は、今年になって塾を事業承継したという。前の塾長からノウハウなどを聞きながら、今では数十人の子どもが通う塾の経営者。買収の費用は貯金の500万円をあてた。

 黒字ではあるが、サラリーマン時代の収入には届かないそう。家から遠く通勤時間も長い。しかし自分の会社を手にした彼は満足そうだった。

 これまで会社を始めるといえば、起業が一般的だった。しかし一から事業を始めるのはリスクも高いし、仲間探しも難しい。事業承継のほうがハードルが低そうに見えるのだろう。いわゆる「脱サラ」組も多い。脱サラといえば屋台、みたいな昭和時代を考えれば、選択肢が豊富になったのはいいことのように思える。

 だが実際には大変なことだらけだろう。プロ集団でさえも赤字企業をM&Aして財政を立て直すのは難しい。塾経営くらいならいいが、逆にいえば塾なら一から始めるのもそれほど難しくないと思う。開業法や運営法を明かしたノウハウ本も数多く出版されている。

 起業と同じで、人生を賭けて個人M&Aをするのではなく副業くらいならいいのかも知れない。経営学者の調査によれば、本業で始めた起業よりも、副業で始めた起業のほうが成功率は高いそうだ(アダム・グラント『ORIGINALS』)。副業なら、本業があるという安心感を持てる。一方、退路を断って起業した人は、挑戦に臆病になるらしい。

 僕も仕事を絞らないようにしている。小説も評論も書くし、テレビにも出る。それが嫌われるのかな?

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2019年8月8日号掲載

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