「佐々木朗希」の登板回避、32歳監督はどうすべきだったのか 決断への“批判”“称賛”

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 今夏の全国高校野球、岩手大会の決勝は、花巻東高校と大船渡高校の対戦となった。花巻東はメジャーリーガー・菊池雄星や大谷翔平を生んだ名門私立。一方の県立・大船渡は佐々木朗希のワンマンチームと言ってよく、実際、佐々木が登板しなかった春の県大会では1回戦負けを喫している。大船渡が甲子園出場を果たすには、佐々木が花巻東打線を封じ込める以外に可能性はなかった。ところが、7月25日の決勝戦で、国保(こくぼ)陽平監督は彼の先発を回避したばかりか、リリーフはおろか打者としても起用せず。ベンチに置いたまま、チームは2―12の大敗を喫したのだ。

「試合後の監督は、覚悟を決めたように取材に応じていました」

 と言うのは、現場で取材したさるスポーツ紙の記者である。

「“投げられない状態ではなかったが、故障を防ぐために判断した”“これまでの3年間の中で一番壊れる可能性が高かった”と」

 国保監督は、大学卒業後、米独立リーグでプレーした経験を持つが、彼の地では「選手の肩は消耗品」という考え方が支配的だ。そしてこの時点で佐々木投手は4試合に登板し、既に435球を投げていた。

「一方の佐々木君は“投げたかったか”と聞かれて10秒以上沈黙して“監督の判断なのでしょうがないです”と。“高校野球をやっている以上、試合に出たい、投げたいというのはありました”“負けたので悔いは残ります”と答えるなど、気持ちに整理がついていない様子がありありと見えました」(同)

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