民衆信仰「修験道」の過去・現在・未来(下)
――最近は、「共生」とか「共存」という感覚が失われつつあるように思うのですが。異質なものと共存せず、むしろそれを排除しようとするような風潮が、インターネット時代になって顕著になってきたように思います。
田中:私もそう思います。
たとえば今の子供たちは、小さい頃からスマホとかパソコンとかが目の前にあって大きくなっていっていますから、膨大な情報量に対してそれを判断し、自分の問題にして、自分の中でストーリーにしていくという知恵とか経験が乏しいんですね。もっと言うと、実は大人にもない。
私などは、インターネットは比較的早く始めましたから、社会に広がっていくのに合わせて自分のストーリーを作っていけたし、それに基づいてインターネットを利用してきたはずなのですが、今はもう、そんな時代をはるかに通り越してしまっていて、子供たちの使い方について、大人が指導できるような知恵もないんですよ。
それは非常に困ったことです。今や、急速に、誰も知らない社会が出てきている。しかもわずか30年ほどの間に、です。こんなことになるとは誰も予想していなかったわけで、驚くべきことです。
当然、10年先がどうなるかも到底わからない。そんな時代に生きる若い子たちにどうやって指導ができるのか。非常に大きな問題を、人類は抱えてしまったのではないかという気がします。
あともう1つ、現代の社会はすごく抑圧されていて、管理化が進んできた。私たちは大人になってからこうなってきたから、それに対する抵抗術とか、自分なりの息抜きの仕方や生きがいの見つけ方を持っていますが、今の子供たちは生まれたときからこういう状態ですから、息抜きの仕方もわからないし、社会とのつき合い方、手加減もわからないので、きっと苦しいと思いますね。彼らが苦しんでいるのは、大人がつくった社会のある種の犠牲。
私たちの世代は、モノがない時代に生まれてきたから、モノを得るだけで幸せだったわけですよね。たとえばカラーテレビを買った、となると、家族みんなが幸せな気分になった。でも今は、そういう幸せなどありえませんからね。
今は家族で喜びを共有したり幸せを分かち合うような仕掛けが極めて少ない。モノが豊か過ぎて、ご飯は食べて当たり前、ものはあって当たり前の時代になってきたせいで、かえって若い世代の幸せづくりの方法は随分難しいことになってしまったな、と思ってしまいます。
――そんな彼らが、うまく自然に帰っていけるのかどうか。
田中:そういう意味では、親が子供を山に連れて行く、自然と親和性を持たせる生活を育むことは、大事だと思います。もっとも現実はなかなか難しいですが。私の場合、長男は随分山に連れて行って、今は山伏になりましたが、次男三男はそうはいかない。自分の子供ですらそうなんですから、世間に何事も言えないなとつくづく思ってしまいますが。
お寺は唯一残る「日本的共同体」
――かつての日本社会のありよう、という意味では、お寺というものの存在感があったように思います。本(宮城泰年・田中利典・内山節『修験道という生き方』新潮選書)の中でも、かつてお寺は人間が集まる場であった、と書かれていますね。
田中:お寺は江戸時代に檀家制度ができて、寺請制度の拠点になった。明治以降、法律上は寺請制度は終わったけれども檀家制度はシステムとして残りました。
そして明治以降の家族制度の中で、檀家制度を中心に共同体の位置づけというものが形となってでき上がっていった。ところが今は、そういう社会システムも変ってしまったんです。
しかも、かつてお寺は寺領地などからの収入があったものが、農地解放後は収入が奪われ、檀家からの収入に頼らざるを得なくなってしまいました。そうするとお寺と檀家との間に、経済的な関係が新たにできてしまいます。
一方お寺の側も、住職が結婚するようになってから大きく変わっていきます。女の人は自分の家庭をきちんと守ろうという意識が働きますが、住職夫人にすれば、その守る家庭がお寺ということになる。そうすると、悪い言葉で言うとお寺が私物化されてしまうわけです。
檀家制度は、日本の人口が2000万人ほどの時にできたものですが、人口がその頃の6倍になっている今、制度自体にそもそも無理があるのかもしれません。ただそれでも今までなんとか続いてはきているわけで、そうなるとお寺の役割もこれからは変わっていくのかな、と思いますね。
内山節先生の共同体論ではないけれども、近代以降作られたコミュニティはそれ以前のものとは変容していて、近代主義的なものになっている。でも檀家制度を中心にした共同体は、江戸時代から引きずっているものをたくさん残しているわけで、それを壊れるがままにしておくのはもったいないとも思うんです。まだあるうちにもうちょっと頑張れよ坊さんたち、という思いが、私の中にはある。
――そう思います。
田中:ところが一方で、そうした共同体というものにこそ問題がある、という仏教側の意見もあったりするわけです。それは信仰とは別物ではないのか、ということですね。
でも、そうした宗教者としての危機感も大事ですが、お寺には共同体があるということ自体がすごい、という自覚をもうちょっと持ったほうがいいと思うんです。これだけ共同体が失われているのに、唯一残っていると言っていいくらいなのですから。
――お寺の行事に参加するとか、そのお手伝いをするということそのものが、すでに信仰の1つだと思います。それが檀家組織だけでなく、もっと一般に門戸を開放していければ、新たな共同体の形を作っていけると思うのですが、たとえばお寺の本尊を拝ませてくださいとお願いに行っても、寺によっては「うちは観光寺ではありませんので」と断るところもあるわけです。
田中:檀家寺がいわゆる会員制のお店になって、会員以外お断りみたいになってしまっているわけですね。
それは先に言ったように、お寺が家庭になったからですよ。奥さんは家に知らない人が来るのが嫌だ。もともとお寺はみんなが来るところだ、という前提があったけれども、女の人が守るようになるとお寺イコール自分の家で、そこに知らない人が来たら困るじゃないですか。
明治「負け組」の捲土重来
田中:別の話になりますが、私の盟友である宗教学者の正木晃さんからよくうかがう話があります。それは、明治維新で日本の近代が始まった時、仏教は勝ち組と負け組に分かれた、ということです。勝ち組は浄土真宗や日蓮宗系で、負け組は天台、真言、修験だと言うんですね。
確かにそれは言えると思う。いわゆる西洋の近代の根底にある、一神教の要素を取り入れて純化していった宗派が、勝ち組になったわけです。
私は講演などでよく、正木さんから教わった、21世紀の宗教が求められる6つの要諦、というお話をします。それは(1)身体性があること(2)自然との関係性があること(3)心身にとって有意義であること(4)参加型であること(5)排他的ではなく総合性があること(6)女性に優しいこと――の6つなのですが、実は、近代の勝ち組には、この要諦をなかなか満たさないんですね。だから今後生き残っていくのは厳しいのかもしれない。
むしろ負け組だった天台、真言、修験が備えているんです。その意味では、そろそろ密教や修験が見直される時代が来ているのではないかと思います。
――最近は、座禅がブームになっています。これもやはり、世界的な近代自我の揺らぎがもとにあって、それが従来のキリスト教的な手法ではどうしようもないところにまで行き詰ってしまった。そこで座禅に活路を見出し、マインドフルネスとか「ZEN」として脚光を浴びているのではないかと見ているのですが、しかしそれは、大乗仏教というところからはどんどん離れているのではないか。この本でもお話しされているように、悟りに至るためには菩薩行、つまり自利利他の行がなければならないのに、「ZEN」は自我の問題だけになってしまっているのではないでしょうか。
田中:禅について詳しく知っているわけではないのですが、ただ、禅は自我の確立を目指しているわけではないと思います。むしろ諸縁の中にある、つながりの中にある自分を見きわめることを座禅によって達成しようとしているのですから、それはある種大乗的ではあります。もっとも手法はどうしても上座部仏教的に見えてしまいますけれども。
だから、今西洋でもてはやされている「ZEN」は、禅家からするとちょっと違う、という思いがあるのではないかという感じがしますね。日本人は自我みたいなものはないんだ、自分はいろいろなつながりの中で存在しているんだということをずっと大事にしてきたわけですから、それを思い出さなければいけない。そのためには密教的な、修験的な行為を伴う活動が大事なのじゃないか、と思います。
――そうした、近代的自我のありようとは対極にあると言っていい日本的なあり方は、しかし「個性がない」とか「埋没」とかいった言葉で、共同体の中で自分を消してしまうものだ、と曲解されているのではないでしょうか。
田中:個を消すことによって全体とか他の誰かの利益のためになる、その歯車でしかないといった価値観ですね。それはちょっと違う、みたいな価値観。ちょっと違うでしょう。
――最近よくある話として、若い会社員の中には夜の飲み会を拒否する、というものがあります。上司や先輩から誘われても、「それは残業代出るんですか?」と言って断る人が増えている、というんです。
田中:そこにはものすごい勘違いがありますね。つまり人間というのは、生きることが仕事なんですよ。金もうけをすることが仕事ではない。職場で仕事をするのも生きることの一部、家庭を持つのも、遊びに行くのも生きることの一部。生きることが仕事なんですよね。そういう視点で自分の生きることを見ていかないといけない。仕事は自分の身を切り売りしてるだけのことで、本当の自分は別にある、という思い込みがあるのでしょうが、実はそんなものはないのです。
そうなったのはやはり、経済が全ての中心になり過ぎたからでしょうね。
本来は生きることが前提であり、その生きるすべになる家庭とか、あるいはご先祖とか、鎮守の神様のお祭りとかいった身近にいるものが、生きる核であった。でも今は、お金という経済行為が生きる核になってしまって、本当の生きる意味を損なってしまっているような気がします。
――マックス・ウェーバー言うところのプロテスタンティズムだって、働くことが行であり、神の国に行く道だったわけですよね。ところがその上澄みの、金もうけだけを与えられてしまった。
田中:結局近代は、神に代わって経済が中心になってしまった。今はその次の段階で、情報技術が神様になりつつあります。
そんな時代だからこそ、身体性を持ったつながりを大事にし、原理主義的なことからの脱却が大事だと思います。それこそ、明治の負け組の仏教たち――天台、真言、修験がというのが捲土重来で見直されていけばいいと思います。
足の裏で修行しましょう
――言葉と身体性などで何かを伝えていくというのは、これから必要なのでしょうね。そこで金峯山寺の場合、修験そのものが在家の宗教ということですけれども、実際山伏になる人たちはどんな方々なのでしょうか。
田中:ほとんどが在家で、いろんな仕事を持ちながら修行しています。中には、そこから始めて寺を持つようになった人もいますが、基本的にはいわば兼業行者ですね。在家の行者です。もちろん得度を受けて、うちの正式な教師資格を持つ人もいますけれども、山だけに来ている人たちもいて、二重構造にはなっていると思います。
もともとは、「講」というコミュニティがあって、そこを窓口にして大峯で修行して、衣帯や袈裟を許されたりするものだったのですが、最近は「講」の活動が衰えてきて、本山が直接に受けるようになってきました。本山で得度を受けて許可を得て衣帯を身につける、という形になってきています。過去にはあまりなかったことです。
――「講」の力が衰えている、つまりコミュニティの力が衰えているわけなんですね。
田中:そうしないと人がどんどん減っていくばかりです。だから本山が体験修行を企画して、一般の人を公募しなければならなくなっている。もっとも参加者のほうも、中間マージンを取られることがないわけですが。
ともかく宗教受難の時代ですから、全体のパイは小さくなっていますよ。マインドフルネスには行くけれど、宗教と聞くと行かない。それはやはり、宗教という言葉に対するアレルギーのようなものがありますね。
オウム真理教の事件以来、日本社会がひとびとを宗教アレルギーへと誘導したとしか思えないようなありようになっていますね。変えていくべきところはまずそこかな、とは思うんですが、それに宗教者たちがどう対応していくのか、その力が問われるのだろうと思います。
――ちなみに、金峯山寺での体験修行は、基本的には平服でいいのでしょうか。
田中:山へ行ける格好であれば、何でも結構です。ただ、足元は登山靴ではなく、白の地下足袋を履く。足の裏で修行しましょう、ということにはこだわっています。あとストックはだめですが、持つなら金剛杖。装束は白っぽければ普通でかまいません。
体験修行には、全国から毎回だいたい15人から25人くらいの方が参加されます。1回だけの人もいれば何回も来られる人もいるし、その中から私の弟子になったり得度した人もいます。
――体験とはいえ、きつい修行ですよね。
田中:でも、弘法大師の道のほうがきついですよ。あれ、すごい道を歩きますから。そこをトレイルランナーは走っていますからね。「Kobo Trail」レースは55キロという距離で、日本にある大レースの100キロとか130キロとかの距離と比べれば短いですが、来た人みんなが「日本にあるトレイルレースの中で最もマゾな道や」と言いますね。
以前、日本のトレイルランナーの第一人者である鏑木毅さんと対談した時、「日本でやるトレランは修験的なものを持たなければいけない」という話をしましたら、大いに賛同いただいたんです。彼はヨーロッパに行ってもそんな話をするらしくて、「これが結構欧米人にも理解されるんですよ」とおっしゃっていました。日本の風土的なものの中で走る意味を説くと、大変興味を持つようです。
――「人間は走るために、歩くために生まれた」という発想が欧米から出てくるようになりましたが、逆に考えれば、人間の心も体も走ったり歩いたりするだけにできているのかもしれないですね。
田中:歩くとか走るという目線で、もう1回人間を見直すのは大事かもしれませんね。