ジャニーズ事務所「圧力問題」で垣間見えた「公正取引委員会」の変貌
公正取引委員会(以下、公取委)が大きく変わろうとしている。
公取委と言えば、独占禁止法(以下、独禁法)を司り、企業の談合や下請け企業に対する不当な強要といった“企業間”の不公正な取引を取り締まっているとのイメージが強い。しかし最近は、その対象が企業から個人へと拡大し始めている。
7月17日、「ジャニーズ事務所」が、独立したアイドルグループ「SMAP」の元メンバー3人を出演させないように民放テレビ局などに圧力をかけていた疑いがあり、公取委が独禁法違反につながるおそれがあるとして同事務所に注意喚起していたと『NHK』が報じた。
公取委が芸能事務所に対して注意を行ったのは初めてのことであり、「どうして公取委が?」という違和感がある。公取委に何が起きているのか。
契機となった「経営統合」
2018年5月30日の拙稿『「地銀統合」で激闘「金融庁」VS「公取委」バトルの内幕』でも、「福岡銀行」を中心に「熊本銀行」、長崎県の「親和銀行」を傘下に持つ「ふくおかフィナンシャルグループ(FG)」が、長崎県で最大の金融機関である「十八銀行」を経営統合するにあたり、銀行を所管する金融庁がOKを出したにもかかわらず、経営統合後の同グループが長崎県内で約7割の融資シェアを占め、寡占状態になることを理由に公取委が“待った”をかけたことを取り上げた。
この経営統合は2016年2月26日に発表されたものの、その後2年以上も“店晒し状態”が続いた。その間、所管官庁である金融庁と公取委の間では、様々な暗闘が繰り広げられた。結局、2018年8月24日、公取委はふくおかFGと親和銀行の経営統合を条件付きで許可し、2019年4月1日に経営統合が行われた。
この、ふくおかFGと親和銀行の経営統合認可の過程に、公取委の姿勢変化を垣間見ることができる。
本来独禁法では、企業の経営統合などによって寡占状態が進んで市場でのシェアが高まり、結果として利用者に不利益が生じることがないように、企業の統合に対しては厳しい審査を行うよう定められている。
しかし、政府の「未来投資会議」で2019年4月3日に公取委から示された「地方基盤企業の統合等に関する公正取引委員会の考え方」では、利用者や地域住民にとって企業が存続することの重要性が認められる場合には、企業の経営統合については柔軟に判断するべきという方針が示され、その例として地銀や地域のバス事業が取り上げられた。
この考え方は、企業が統合できないことで存続できなくなり、サービスが停止することで利用者に大きな不利益が生じないよう、独禁法の審査に例外規定を導入することにより、企業の統合を認めやすくするというものだ。つまり、「ふくおかFGと親和銀行の経営統合が、独禁法の運用を時代の要請に合わせて柔軟に考える契機となった」(公取委関係者)ということである。
公取委の検討会
さて、冒頭のジャニーズ事務所の問題である。
『NHK』の報道直後、公取委は調査の結果、明確な違反の証拠は認定できなかったことから注意喚起にとどめたことを明らかにし、ジャニーズ事務所も、圧力をかけたことを否定するコメントを出した。
だが、報道2日後の7月19日、『NHK』の『ニュースウオッチ9』では、民放テレビ局関係者によるジャニーズ事務所からの圧力を肯定するコメントが報道された。にもかかわらず、一方の当事者である民放テレビ各局でこの問題を正面から取り上げた局はほとんどなかった。こうした実態を鑑みると、“臭い物に蓋をする”姿勢を疑わざるを得ず、ジャニーズ事務所からの圧力があったという心証は強くなる。
話がやや脇道に逸れた。本筋に戻そう。
公取委のジャニーズ事務所に対する芸能業界初の注意喚起ばかりが注目を集めたが、これは公取委の変化の1つでしかない。スポーツ紙や芸能誌などでは、公取委が芸能事務所に対して特別な関心を持って調査していたとの報道もあったが、長年企業活動の取材を続ける中で多くの公取委関係者に取材してきた筆者の知る限り、そうした事実はない。
2019年2月15日、公取委は「人材と競争政策に関する検討会」(座長:泉水文雄・神戸大学大学院法学研究科教授)なる会議の報告書をまとめている。今回の一連の報道では、あたかも公取委が2月にジャニーズ事務所を調査した結果、問題を発見したように報道されているが、むしろ順序が逆で、実は事務所への調査とは、この報告書をまとめるために行われたものなのだ。
同報告書は、終身雇用や年功序列といった雇用システムの崩壊により、個人の働き方が変化・多様化し、労働契約に基づき企業の従業員として働くのではなく、個人請負など、企業の指揮命令を受けずに〈個人として働く者〉が増加しつつある現状を考慮し、〈人材の獲得をめぐる競争に独占禁止法を適用する意義は大きい〉との判断から検討が進められたものである(カギカッコ部分は報告書より)。
従って、いわゆる「フリーランス」を代表とし、たとえばシステムエンジニア、プログラマー、IT技術者、記者、編集者、ライター、アニメーター、デザイナー、コンサルタントなど様々な職種が対象となっており、この中に芸能人やスポーツ選手も含まれているのだ。
報告書のために調査をしてみたら
また、これもほとんど報道されていないが、公取委は6月17日には、「スポーツ事業分野における移籍制限ルールに関する独占禁止法上の考え方について」を発表している。この中で、スポーツ事業分野では、スポーツ統括団体がチーム間における選手の移籍や転職について一定の制約や条件を課す移籍制限ルールを定めている事例があることを指摘している。
たとえば、移籍や転職自体は可能であっても、スポーツ統括団体が開催するスポーツリーグや競技会への出場を認めないなどにより、実質的に移籍や転職を制限しており、規程等によって明文化されず慣習的に行われている“事実上のルール”が存在していることに懸念を示している。
その上で、〈一般に、競争関係にある複数の事業者が、共同して、人材の移籍や転職を相互に制限・制約する旨を取り決めることは、原則として独占禁止法違反〉(第3条=不当な取引制限の禁止)となり、また、〈事業者団体が当該取決めを設ける場合も同様である〉(8条第1号=事業者団体による競争の実質的制限の禁止)などと指摘している(カギカッコ部分は報告書より)。
つまり、ジャニーズ事務所が注意喚起を受けたのは、上記の報告書をまとめるために調査をしてみたら、この独禁法第3条の「不当な取引制限の禁止」に抵触すると判断されたのであり、ジャニーズ事務所を何らかの疑いで摘発しようとするために設置された検討会でも報告書でもない。実際過去には、人気ゲームサイトの運営会社や通信カラオケ最大手が不当な取引制限を行ったとして摘発されたケースもある。
このように、公取委は独禁法の運用を柔軟に変化しようとしている。
「岩盤」と言われる規制の多くはまだ厳然として残っているが、それでも多少は規制緩和が進み、規制という名で決められていたルールも消滅し、「監督」「指導」という名目で行われていた省庁による民間への介入が減少している分野もある。また、少子高齢化や地方の衰退により、企業のあり方に対する意味付けも変化し始めている。あるいは、働き方の多様化が進んでいることで、従来の、労働基準法で定められていた労働契約に基づいた雇用者(企業)と労働者(従業員)という関係性だけでは、カバーできない問題も発生している。
自由化された社会の中で、結果的には国民の利益となる企業の公正な取引を監視し、取り締まるのは、公取委の重要な役割だ。いま公取委は、時代の変化とともに独禁法の運用を柔軟化し、時代にあった公正な取引を司る機関へと変化しようとしている。その変化を、我々国民も注意深く見ておく必要があると思う。