「皇室外交」で復権した雅子皇后が、それでも美智子上皇后に学ぶべきこと
豊かな想像力
山あり谷あり、幾多の困難を乗り越えられてきた上皇后さまにとって、最も大きな試練は59歳の誕生日を前にした1993年10月、週刊誌などのバッシングで失語症になった時ではなかっただろうか。上皇后さま(当時の皇后さま、以下同じ)は「どの批判も、自分を省みるよすがとしていますが、事実でない報道がまかり通る社会になってほしくありません」とコメントされた。上皇后さまがここまではっきりと反論したのは後にも先にもない。
上皇后さまはどのようにこの試練を乗り切ったのか、ある元大使夫人から話を聞いたことがある。90年代半ば、この大使夫人は大使である夫と、国際親善のために国賓として任地に来訪した上皇(当時の天皇、以下同じ)、上皇后さまをお迎えした。お二人はホスト国の官民挙げての温かいもてなしで遇された。
滞在も最終日となった朝、大使夫人は公邸に宿泊していた上皇后さまから「少しお話ができますか」と誘いを受けた。部屋に伺うと、上皇后さまは椅子を勧め、次のような話をされた――。
「真っ暗な闇の夜も、じっと目を凝らすとそこには点々と光があることが分かります。一人一人がたいまつを持ち、それぞれ自分に与えられた使命に打ち込んでいます。それを思った時、私が悩んでいることは小さなことなのだと気が付きました」
上皇后さまがわざわざ大使夫人を呼んでこの話をされたのには伏線があった。このころ大使夫人は日本の週刊誌からバッシングを受けていた。ドレスを取っ換え引っ換えしてパーティーに出ていく、派手なスポーツカーを乗り回している、目立ちたがり屋……。
この大使夫人は以前から上皇后さまと面識があったこともあって、お世話をする合間に、自分の心の屈託をつい漏らした。上皇后さまはこれを聞き漏らさず、滞在最終日に自分の経験を話されたのだ。
話を聞いてどうだったか。「心が大変軽くなりました。また上皇后さまがそのようにこの世界を見ておられるのだと改めて教えられました」と元大使夫人は振り返る。
人は使命(ミッション)を持って生まれてくる。一人一人は小さく目立たないが、黙々と自分の役割を果たしている。これによってこの世界は成り立っている――。
上皇后さまを、上皇さまをはじめ家族は温かく支え、友人たちの励ましもあった。しかし上皇后さま自身がもつ力が回復に大きく寄与していたことも間違いない。それは「豊かな想像力」とでもいうべきものだと思う。
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