「全英オープン」恩讐越えた「北アイルランド開催」の友情物語 風の向こう側(51)

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 今年の「全英オープン」(7月18~21日)を制覇したシェーン・ローリー(32、アイルランド)が、翌週に米テネシー州メンフィスで開催された世界選手権シリーズの「フェデックス・セント・ジュード招待」(7月25~28日)を欠場することが報じられると、米国のゴルフファンは落胆したが、「そうなってくれることを望んでいた」と言った選手が1人だけいた。

 それは、全英オープン開幕前に優勝候補の筆頭に挙げられながら、予選落ちを喫し、2日間で去っていったローリー・マキロイ(30、北アイルランド)だった。

 マキロイのこの言葉の背景を探れば、そこには深い意味、大きな意義が込められている。

「びっくりするほどナーバスに」

 今年の全英オープンは1951年以来、68年ぶりに北アイルランドに戻り、「ロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブ」がその舞台になった。北アイルランドの人々は地元のヒーロー、マキロイの勝利を願い、マキロイ自身も母国のファンの目の前で優勝トロフィーのクラレットジャグを掲げようと心に誓っていた。

 しかし、初日の1番ティに立ったとき、詰め寄せた大観衆から伝わってきた期待と熱気はマキロイの想像をはるかに上回っていた。

「ウォーミングアップをしていた段階では僕はびっくりするほどリラックスしていた。10分前までリラックスしていた。でも1番ティに立った途端、僕はびっくりするほどナーバスになった」

 第1打でOBを打ち、1番(パー4)はいきなり8を喫し、初日79と大きく出遅れた。2日目は一転して好プレーを披露して巻き返していったが、カットラインに1打及ばず、予選落ちとなった。

「今、感情が込み上げている。とても残念でたまらない。今日、いいプレーを披露できたことには胸を張れるし、うれしく思う。でも、これまでずっと今週を楽しみにしてきたから、僕の心はしばらく癒えないと思う」

 そんなマキロイの傷心を誰よりも理解し、気遣ったのが、そのときすでに首位に立っていたローリーだった。彼は2日目の夜、去り行くマキロイに短いメールを送った。

「来週、メンフィスで会おうな」

 すると、マキロイは、こう返信してきたそうだ。

「いや、メンフィスではキミに会わないことを望む。だって、来週はクラレットジャグに注がれた勝利の美酒にキミがまだ酔っていることを僕は祈っているから――」

 2人のそんなやり取りは、予選落ちした選手が首位を走る選手に「僕はダメだったけど、キミは頑張れ」と単にエールを送ったということではない。

 北アイルランドで開かれた全英オープンで、北アイルランド出身のマキロイと、アイルランド出身のローリーが「同士」「盟友」として互いに気遣い、励まし合ったということ。

 そこに、大きな意義があった。

重い歴史にかかわらず

 マキロイの国籍を「英国」と記すか、「北アイルランド」と記すか。その表記は日本メディアの間でも異なる。通信社表記に準ずる新聞社等は「英国」と記し、雑誌やウェブ系の多くは「北アイルランド」と記している。

 マキロイ自身、英国と北アイルランド、2つのパスポートを持っている。彼は米ツアーにデビューした当時から、試合会場で囲み取材を受ける際、ロンドンからやってきた英国記者たちと幼いころから知っている北アイルランドの記者たちの双方の顔をせわしなく交互に見ながら話をしていた。

「30年以上の問題だからね」

 マキロイが悲しげに口にした「問題」とは、英語では文字通り「The Troubles」と記され、日本語では多くの場合「北アイルランド問題」と呼ばれている非常に複雑で根深い問題を指していた。

 アイルランド島への入植者たちの歴史まで遡れば、その根っこは17世紀とも言われるが、紛争が表面化してきたのは1960年代の後半ごろ。北アイルランドを英国とすべきか、それともアイルランドとすべきか。国境を示す線をどこに引くべきかという対立は、プロテスタントとカトリックという宗教的な対立、さらには民族的な対立とあいまって激化していき、80年代には多数の死傷者が出た。

 そして、1998年の「グッドフライデー合意」によって「紛争は終結」とされたのだが、2000年代に入ってからも激しいぶつかり合いは続いた。

 テリーザ・メイが首相辞任のやむなきに至り、ボリス・ジョンソン新首相が誕生することになった英国のEU(欧州連合)離脱「ブレグジット」が暗礁に乗り上げている最大の理由も、この「北アイルランド問題」だ。

 だが、時代は移ろい、北アイルランド出身のダレン・クラーク(50)やグレーム・マクダウエル(39)、そしてマキロイがメジャー・チャンピオンになり、世界の舞台で活躍している昨今なのだから、「ゴルフで平和を導き出せるのではないか、是非ともそうしたい」と願い始めた人々がいた。

 全英オープンを再びロイヤル・ポートラッシュで開くことができたら、国境や国籍、宗教や紛争、重い歴史にかかわらず、みんなの心が1つになってくれるはず――。同クラブのセクレタリー・マネージャー、ウィリアム・アースキン氏は、そう信じて動き始めた1人だった。

「北アイルランドは平和な場所。住むにも、訪れるにもグレートな場所なんです」

 それを世界に示したかったのだとアースキン氏は言った。

 そして5年前、2019年全英オープンをロイヤル・ポートラッシュで開催することが決まったとき、地元出身の選手たちは「R&A(主催する英国のゴルフ組織)から素敵なささやきが聞こえてきた」と歓喜の涙を流した。

「みんなのものだ」

 今年の全英オープン開幕前。会見に臨んだクラークは、「キミたちメディアが世界各国からこの北アイルランドに大勢やってきて、こうして目の前に座っていること自体が、信じられないほどの出来事だ」と感慨深げに言った。

 故郷の期待を一身に担っていたマキロイは、こう語った。

「スポーツには信じられない力がある。この地では、そういう力が求められる。今年の全英オープンには、そういう力があるはずだ」

 そう、マキロイの胸の中にも、ロイヤル・ポートラッシュに詰め寄せた人々の胸の中にも、そんな強く熱い想いがあった。初日の1番ティに立ったマキロイは、そのあまりの重さに身も心も揺さぶられてしまい、予選落ちとなったのだ。

 そして、マキロイが去ったそのロイヤル・ポートラッシュで、まるで主役が入れ替わったかのように首位に立ち、最後は2位に6打差を付けて圧勝したのが、ローリーだった。

 北アイルランドのヒーローが姿を消した後、北アイルランドの大観衆が狂喜しながらエールを送り続けたのがアイルランドの選手だったことは、歴史の不可思議としか言いようがない。誰もがそこに運命的なものを感じずにはいられなかったのではないだろうか。

 最終日が暮れ行くとき、ロイヤル・ポートラッシュの人々はローリーの勝利を心の底から祝福し、みんなの心が1つになっていることが、みんなの笑顔から伝わってきた。

 だからこそ、クラレットジャグを掲げたローリーは、こう言ったのだろう。

「このトロフィーは、みんなのものだ」

信じられない力

 マキロイとローリーの気遣いや励まし合いの背後には、そんな長い長い歴史の物語があった。だからこそ、2人のメールのやり取りが大きな話題になり、2人のフレンドリーな関係性を伝え聞いた人々もうれしい気持ちになる。

 全英オープンを制覇したローリーが翌週のメンフィスの試合を欠場したのは、「故郷に帰り、家に帰ることが待ちきれなかったから」。

 それを聞いたマキロイは、自身が望んでいた通り、「盟友」ローリーが翌週も勝利の美酒に酔っていることを喜び、さらにこんなメールを送ったそうだ。

「(フェデックスカップ・プレーオフ第1戦の)ニューヨークで会おう。そこで僕はキミをディナーに連れ出し、一緒に勝利を祝いたい」 

 マキロイが祝いたいことは、もう1つあるはずだ。「スポーツには信じられない力がある」と言った彼の言葉が現実になったこと、真実であったことも、嬉しくてたまらないはずだから――。

舩越園子
ゴルフジャーナリスト、2019年4月より武蔵丘短期大学客員教授。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。最新刊に『TIGER WORDS タイガー・ウッズ 復活の言霊』(徳間書店)がある。

Foresight 2019年7月29日掲載

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