亡き父は晩年なぜ「ネット右翼」になってしまったのか
それでも「情報に触れていたかった」
出版物にせよWEB上のものにせよ、ヘイトな右傾コンテンツの根本は、今や思想というより「商業」になっている。それは基本、金儲けの手段だ。
商業的に瀕死状態にある紙媒体が、「最も紙媒体を消費し、最も金を持つ層」として高齢男性をターゲットにするのはマーケティング的には全く正しいこと。その層に響くコンテンツとして健康情報や「どのように死ぬか」と同列に「右傾コンテンツ」があるのも、やはりマーケットとして有望だからだ。
売ることを優先した右傾コンテンツには容赦がない。古くからある保守言論本ならまだしも、粗製乱造されたネット右翼本はエビデンスに乏しく、「あなたたちが懐かしく思っている美しいニッポンが失われたのは、戦後のGHQ統治下で“作られた憲法”や、中韓による“歴史の改変”のせいである! ニッポンは失われたのではなく“奪われ捻じ曲げられた”のだ!」といった論調で読者の喪失感を被害者感情に昇華することで、大きなマーケットを生んできた。
「どうしてこんな事になってしまったのだろう」と喪失感に沈むことより、視野に明確な敵の像を結んで被害者意識をぶちまけさせたほうが、人の快楽原則には忠実だからだ。
父の偏向も、入り口はそんな出版物だったのだろう。けれども長引いた抗がん剤治療で徐々に衰えていく中、枕元の本は「正論」や「諸君」から「Will」や「Hanada」といった読みやすく過激なものへと移り、ついに父からはそうした出版物を買いに行く体力も、その活字を読み切る精神的体力すらも奪われていったようだった。
買いに行かなくても手に入るのが、ネットのコンテンツ。そして文字を読まなくても音声で読み上げてくれるテキスト動画。衰弱するほどに、父の触れるコンテンツは粗悪なものに偏り、その衰弱の経緯は父のパソコンの中に刻まれている。
父のブラウザのお気に入りは、古いものでは代表的右傾コンテンツである「チャンネル桜」の動画などが多かったが、末期に閲覧が多かったのは主にヘイトなテキスト動画が中心だった。
言わずもがな、再生回数を収益根拠とするそれは「営利配信物」。最近は内容がオカルト・フェイクすぎてYouTube側から収益無効化の対象にされるほどの卑俗なコンテンツだが、もう父はそれを聞き流し関連動画を巡るだけで、そのファクトを調べる力すら残されていなかったのだろう。
体力と共に認知や思考力が失われていく中、その醜い言説が父を蝕んでいった。
それでも、それほどまでに弱っても、そんなに卑俗な内容のものであっても「情報に触れていたかった」。そんな父の知的モチベーションは確かにかつての父そのものだ。けれども、あの僕を傷つけ続けてきた偏向発言が、そうして衰える父を食い物にしたコンテンツの余波だと考えたら、僕の中にも少々抑え難い感情が湧き上がってくる。
父と僕に本音を語りあう機会は、何をしても訪れなかったかもしれない。だとしても、せめて互いに共通する心情を分かち合うだけのゆとりが欲しかった。だが無念にも、毎月の通院付き添いという、なんとか作りだした父との時間は、こうした劣悪極まるコンテンツによって、醜く汚されてしまった。
その時間はもう、取り返しがつかない。
特に僕らの世代では、父と子の間の自然な距離感はなかなか望みづらいと聞く。企業戦士は家庭に不在でも許された時代、僕自身もほぼ母子家庭育ちのような認識がある。そんな距離感のある父親が「正月に実家に帰ったらネトウヨ化してました」というのは、ひとつ定番の経験になりつつあるだろう。
そうした父らの背景には何があるのか。老いたる者が共通して抱える喪失感を巧みに利用するコンテンツや、認知と思考の衰えにつけ入る安易で卑俗な言説。そうしたものによって先鋭化させられたイデオロギーが父と僕を分断したならば、父も、そして息子の僕も、そんな下賤な銭稼ぎの被害者だったのかもしれない。
貪欲な向学心を持ち、時代の波にそれなりに揉まれ、10年ぐらい同じセーターを着続けてご立派なコース料理よりラーメンと餃子を選んだ、どこにでもいるオヤジだった父を想う。
こんな形で彼を失ったことを、息子はいま、初めて哀しく悔しく感じている。
梅雨が開けるタイミングで納骨だ。墓石に語りかけたい言葉が、徐々に頭の中でまとまってきた。
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