山口「八つ墓村事件」、保見光成死刑囚が弁護士にも語らなかった“田舎暮らしの地獄”
田舎暮らしブームに警鐘
最高裁は7月11日、保見光成(ほみ・こうせい)被告(69)の上告を棄却した。山口県周南市で5人を連続殺害し、2軒の民家を放火。殺人と放火の罪に問われ、死刑となった一審と二審の判決が確定した。これで「保見被告」は「保見死刑囚」となる。
『誰も教えてくれない田舎暮らしの教科書』(東洋経済新報社)などの著作がある、移住アドバイザーの清泉亮氏は、この3年間、手紙や面会で保見死刑囚と交流を持ってきた。その知られざる素顔や、大手メディアが報じない事件の原因、何よりも事件が浮き彫りにした田舎暮らしブームの“盲点”を、清泉氏がレポートする。
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山口県周南市金峰にある保見光成・死刑囚の自宅の鍵は、現在、本人と相談し、私が保管している。今では、彼が守ってきた両親の墓を折々に供養しているのも私、ということになる。
事件は2013年7月、周南市の金峰郷で発生した。住民は僅か8世帯14人の限界集落。1晩のうちに71歳から80歳までの女性3人と男性2人が殺害された。どの遺体にも鈍器で殴られたような外傷があり、頭蓋骨陥没や脳挫傷が死因だった。
更に2人の被害者が住む家が全焼。捜査を行った山口県警は殺人・放火事件と断定。全焼した家の隣に保見死刑囚が住み、そこに「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」の張り紙があったことなどから、家宅捜査を行い、重要参考人として行方を捜した。
火災発生から6日目、保見容疑者は下着だけの姿で山道に座っていたところを県警の機動隊隊員が発見。任意同行を求めて事情聴取を行った上で、殺人と非現住建造物等放火の容疑で逮捕した。
平成史に残る凶悪事件として、今も記憶に新しい。精神鑑定が2回も行われたことからも分かるように、裁判では保見死刑囚の責任能力が主要な争点となった。
その一方で、保見死刑囚が5人を惨殺した動機については、3回の裁判で全容が明らかになったとは言い難い。事件直後から、集落をあげてのイジメがあったとの報道は少なくなかった。しかし公判では認められず、イジメはなかったとの結論に達している。しかし、そうだとすれば、なぜ彼が5人を殺害したのかという直接的な動機は失われてしまう。
保見死刑囚は、多分に誤解を招きやすい人物である。事件後についた国選弁護人とは一審段階からまったく話が噛み合わず、自身の弁護方針や主張の論点についても、最初から最後まで弁護人らと信頼関係が構築された節はない。
私のところに保見死刑囚から手紙が届いたのは、16年8月のことだった。高裁判決の直前というタイミングだった。
面会に行くと、私に手紙を送った理由を「あなたの本を読んだ。真面目な人だと思った」などと説明した。それからの3年間、私の元には多くの手紙が送られてきた。段ボール箱から溢れるほどの量になった。
事件のことだけでなく、内容は多岐にわたった。幼少期の回想、集団就職で東京に出てからの自分史。初恋や、その後の恋愛……。彼の手紙には、彼の人生が丸ごと記されていた。面会だけでなく、私が返事の手紙を書くことで、無数の“対話”を積み重ねてきた。
最高裁に上告するまでは、保見死刑囚が他の報道関係者と連絡を取った形跡はなかった。唯一の例外が私だった。
だが、弁護人と意思疎通が難しい状況に業を煮やしたのだろう。最高裁への上告を前に、それまでの沈黙から一転、地元山口県のテレビ局から、在京の週刊誌まで、一方的に自分の主張を書き連ねた手紙を送り始めた。
保見死刑囚は、びっしりと主張を書き込んだ直筆の手紙を、私に送ってきた。「これをコピーして送り返してほしい」と枚数も指定した。マスコミ1社1社に手紙を書く時間が惜しかったのだろう。“基本形”となる手紙を書き終えると、後はコピーを各社に送付しようとした。
私は何度も「メディアは決して、あなたの思惑通りには動かない」と忠告した。だが、保見死刑囚の決心は固かった。孤独な獄中で、それで少しでも心が落ち着くのなら、と私は協力することにした。手紙を複写し、ノートや封筒を差し入れた。
最高裁が上告を棄却すると、ネットメディアも含め、保見死刑囚の手紙や面会の内容を元にした多くの記事が掲載された。粗野で乱暴で、頭の中は“妄想”で満ちている――。そんな人物像を一部のメディアやジャーナリストは書きたてた。そうした記事を保見死刑囚に送ると、後悔の念や嘆きが手紙に記されて送られてきた。
私は、こうした報道を否定するつもりはない。保見死刑囚が5人の命を奪った事実はあまりに重い。彼を擁護するつもりもない。
とはいえ、保見死刑囚が持つエキセントリックな一面を、まるで全人格の象徴であるかのように取り扱った報道が行われたのは事実だ。それは正確な報道ではない。この原稿で私は、3年間の文通や面会で知った、保見容疑者の素顔を丁寧に記してみたい。
記憶を「被害妄想」と結論された無念
先に述べたように、保見死刑囚は多分に誤解を招きやすい人物である。どちらかと言えば内気な性格で、コミュニケーションにおける表現力は乏しい。還暦を過ぎた男にしては、その性格はあまりに無垢で純粋だ。
中学卒業と同時に集団就職。それから30年が経ち、両親の介護のため故郷にUターン。43歳の時だった。介護の日々を彼はこう振り返っていた。
「両親とも認知症です。そのほか色んな病気がありました。父に一番苦労しました。耳も聞こえません。ジェスチャーだけです。手を抜くことができません。母は痰を吸引しなければいけません。眠れませんでした。昼、デイサービスがくるので、その間、寝ていました。もちろん、おしめも換えます。慣れると簡単です。洗うことはありませんから」
介護の経験は、彼の“死生観”にも影響を与えたようだった。
「毎日病人と一緒だと、私自身、人の手を借りてまで生きようとは思わなくなった。それと私は若い時から、死ぬ時は田舎で、と思ってました。両親を看取って、75歳くらいまで生きたら、父親の生まれた近くで穴を掘って入ろうと思ってました」
田舎暮らしを重ねるにつれ、保見死刑囚の苦悩は深まっていった。20年近い故郷での生活の末、5人殺しの惨劇が起きた。
今、田舎暮らしは、大変なブームになっている。移住者の数は増え続ける一方だ。保見死刑囚が体験した悲劇は、どんな移住者にも貴重な“教訓”を教えてくれている。誰もが同じ体験を味わう可能性がある。まさに「今、ここにある危機」だ。
保見死刑囚に粗野で自己中心的な側面があるのは事実だ。弁護団は一貫して、彼を「妄想性障害」の持ち主として扱った。だが、その内面は実に繊細だ。そして、こちらが驚かされるほど相手を観察している。
強い印象に残ったのは記憶力。彼は事件当夜から山中への逃避行の間――草木1本の位置や正確な時刻さえも――何から何まで鮮明に覚えていた。手紙や面会で詳細な証言に触れるにつれ、「本当だろうか?」と疑問が湧いた。
私は殺害現場から任意同行された場所まで、GPSを片手に確かめて歩いてみた。結果から言えば、証言の全ては完全に正確だった。記憶力に関しては、ある種の特殊な才能を感じたほどのレベルだった。
自分が殺害した5人の被害者とのやり取りも――帰郷して“田舎暮らし”が始まった約20年間分を――鮮明に覚えている。保見死刑囚にとって最大の無念は、その全てが「妄想性障害」と判断されたことだった。単なる被害妄想と片付けられてしまったのだ。
彼が思い込みの強いタイプであることは否定しない。だが、彼ぐらいのレベルは、世間のどこにでもいる。さらに、思い込みが強いからといって、彼の話が全て嘘であるはずもない。必ず真実が含まれている。そこには注意が必要だ。
例えば、高齢の方をインタビューする際、私たち取材者は何度も同じ質問を繰り返し、ゆっくりと事実関係を確認していくのがセオリーだ。こちらの呼吸と相手の呼吸が合わないと、誰も心情を吐露したりしない。私は保見死刑囚も似たアプローチが必要な人物だと考えていた。
保見死刑囚の誕生日、私は自宅で「お誕生日おめでとう」とのプレートをホールケーキにつけ、火をともしたキャンドルを載せたところを写真に撮って送った。彼は「誕生日をお祝いしてもらったのは人生で初めて」と、いささか大仰な返礼の手紙を送ってきた。
彼の要望に応じて自宅に足を踏み入れ、衣類などを拘置所に届けたこともある。そして、飼っていた犬の供養も――。
山中で県警の機動隊員に発見され、任意同行を求められた1分後、彼の愛犬は突然に心臓発作で死亡している。不思議な偶然と言っていいだろう。名前はオリーブ。犬種はゴールデンレトリーバーだった。
私はオリーブの墓前に食べ物や花、たっぷりの水を供えて線香をあげた。そして保見死刑囚に送ろうと写真を撮った。見ると線香の煙の中にオリーブの輪郭がくっきりと現れていた。心底驚かされた。心霊写真の類であり、目の錯覚と言われれば返す言葉はない。
それでも拘置所の面会室で、私たちを遮るアクリル板越しに写真を見せると、保見死刑囚は滂沱の涙を流した。私もつられて泣いた。何と“監視役”として面会に立ち会っていた拘置所職員でさえ、その目にはうっすらと涙がにじんでいた。
保見容疑者は、両親の介護に半生を捧げた。独身で、妻も子供もいない。愛犬が我が子そのものだった。そして彼は裁判で「愛する犬を集落の人間に毒殺された」と主張していた。オリーブの前に飼っていた犬で、名前をチェリー。本当に毒殺されたのなら、保見死刑囚が復讐を誓った心情は理解できる気もした。
裁判では他にも「草刈り機を燃やされた」、「母親の介護でおむつを交換していると、自宅の中に入ってきた住民に『うんこくせーな』と暴言を吐かれた」といったイジメの事実を主張した。自分だけでなく、母親も侮辱されていた。しかし保見死刑囚は、介護に集中しようと、嫌がらせや暴言に耐えていたという。
こうした保見死刑囚の訴えを、裁判は「妄想」と一蹴した。だが私の取材では、同じ集落の中でもイジメの事実を認める証言が多数ある。
例えば、都会で施錠しない家は稀だ。しかし田舎では、カギをかけないどころか、窓をカーテンで覆っただけで不興を買う。「カギなんかかけやがって」、「カーテンなんかしやがって」と強烈な陰口を叩かれる。
戸締まりを厳重にし、カーテンでプライバシーを保護することは、田舎では「隣人を信用していないサイン」と見なされてしまう。だから、他人が突然、無施錠の玄関を勝手に開けて家の中に入り、居間に出現することは決して珍しくない。
保見死刑囚の「自宅に勝手にあがりこみ、おむつの件で母親と自分に暴言を吐いた」という証言は、だからこそ私は信憑性を感じる。だが、おそらく都会で生まれ育った裁判官は、そんな状況は想像すらつかなかったのだろう。
面会に訪れた私に、保見死刑囚は「死刑になるのは、さほどこだわってはいません。ただ、負けるわけにはいきません」と繰り返し語っていた。
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