「北極海」「バレンツ地域」が鍵「フィンランド」を視る「5つのポイント」
2019年が日本との外交樹立100周年に当たるフィンランドは、1917年にロシア帝国から独立を果たして100年あまりという「若い」国だ。しかし、その歴史は劇的で、独立後の内戦に始まり、第2次世界大戦でのソ連の侵攻、ナチスドイツへの接近、敗戦などの苦難を乗り越え、現在では教育や福祉、IT技術などの分野で世界でもトップを争う先進国へと大きな変貌を遂げている。
日本では「ムーミン」やサンタクロース、デザイン分野の「イッタラ」、「マリメッコ」などで知られているものの、未だヨーロッパの端に位置する遠い北欧の国というイメージを持つ人が多いかもしれない。しかし実は、航空便を利用すれば10時間足らずで到着できる、欧州の中でも日本に「近い」国でもある。
そのフィンランドを、「日本企業がロシア市場、北欧・バルト諸国、そして欧州各国でビジネス展開を考える際に、最適な『パートナー』になり得る可能性を秘めた国」と話すのは、2012~16年まで駐フィンランド特命全権大使を務めた篠田研次氏だ。なぜフィンランドがパートナーとして最適なのか、5つの視点から聞いた。
間の「小さな国」
1つ目は「地政学」的視点だ。
東に約1300キロものロシアとの国境を持つフィンランドは、ユーラシア大陸を日本と東西から挟み込むように位置している。この位置関係が非常に大きな意味を持つという。
「私はフィンランドでの在勤中、現地の人々から『フィンランドと日本はほとんど隣国です。間に小さな国があるだけ』というフレーズをよく聞かされました。『小さな国』とはもちろん、ロシアのこと。また、1905年、極東の新興国である日本がロシアに勝利したことが、フィンランドの独立の機運を醸成したのだ、とも指摘されていますが、そういうこともあってか、フィンランドは欧州でも群を抜いて親日的です。
『ロシア』という要素は、フィンランドとは切っても切れない関係にあります。独立前はロシア帝国の一部でありましたし、第2次世界大戦中にはソ連の攻撃を受け、その結果、領土の10分の1を失い、冷戦期にはソ連からの圧力を受け続け、中立的な政策をとってきました。しかし、1991年にソ連が崩壊すると、それに素早く反応したフィンランドは、ソ連時代の相互援助条約に換えてロシアとの新たな条約を結び、さらに95年にはEU(欧州連合)の加盟国となります。
現在、NATO(北大西洋条約機構)の非加盟国ながら、安全保障の面では西側に軸足を置き、NATOが進める国際的な危機管理活動にも積極的に参加しています。ちなみに、スカンジナビア半島のノルウェーはNATOに加盟していますが、EUの非加盟国。スウェーデンはフィンランドと同じく、EU加盟国ですがNATOには加盟していません。ただスウェーデンとフィンランドは緊密な北欧防衛協力を進めています。
日本は現在もロシアとの間に領土問題を抱えています。フィンランドも安全保障上の主たる関心はロシアですから、この大国と様々な歴史的関わりを持っている国として、日本とフィンランドは相互にシンパシーを感じているのかもしれません。現在ではロシアとの建設的な関係を構築するとの視点から、両国は協力関係を築こうとしていますが、フィンランドが長年にわたって築き上げてきたロシアに関する知見と洞察力が、視点の2つ目、『経済・ビジネス』にも活きてくるのです」
ヘルシンキは扇の要
「先ほど述べたロシアを挟んだ隣同士という地理的位置関係は、特にロシア市場をめぐる日本・フィンランド間のビジネス協力の可能性を高める大きな利点になります。フィンランドはロシアと経済面でも深いつながりがある。なかでもサンクトペテルブルクからモスクワにかけてのロシア北西部には、何百社ものフィンランド企業が進出しており、他国と比較してもこの地域での存在感は圧倒的です。
例えば、フィンランドの建設会社『YIT(ユイット)』は、ロシアの規制や許可制度に精通しており、サンクトペテルブルクに工業団地を建設していて、外国企業はこの工業団地に入居することを決めれば、翌日から工場建設に着手することが可能です。もし経験のない外国企業がロシアにおいて更地から工場を建てようとしても、土地の取得やインフラ整備に費用もかかるうえ、当局との手続きも長引き、何年も貴重な時間を空費しかねません。
ノルウェーの首都オスロからスウェーデンの首都ストックホルムを通り、ボスニア湾を挟んで対岸のフィンランドの旧都トゥルク、首都ヘルシンキ、そしてロシアのサンクトペテルブルクをつなぐルートE18は『経済開発回廊』と位置付けられる高速道路で、この幹線を利用してロシア各都市へのゲートウェーとなるサンクトペテルブルクに容易にアクセスすることができます。この沿線上に多くの企業が倉庫やロジスティクス、生産設備を整備しているので、ビジネスを展開するには格好の環境です。
ヘルシンキとサンクトペテルブルクをつなぐ高速鉄道アレグロ(Allegro)号を利用すれば、両都市の間はわずか3時間半。ロシア市場で活動基盤を有するフィンランド企業と連携し、その知識や経験、ネットワークを利用することは、フィンランドと日本のみならず、ロシアにとっても経済の発展をもたらすことになるのではないでしょうか」
またフィンランドの経済的「パートナー」としての可能性は、ロシアだけを見据えたものではない。東京、名古屋、大阪からデイリーの直通航空路線で結ばれているヘルシンキ・ヴァンター空港は、北欧・バルト諸国を中心とした欧州経済圏へのハブとしてすでに定着している。
「ヘルシンキは、ロシアに向けて伸びる「ロシア・ゲートウェー」と、バルト諸国から欧州に向けて伸びる「欧州ゲートウェー」という2つの扇の要に位置しています。フィンランドは高い水準の教育でも知られていますが、それに基づく質の良い労働力と世界でもトップクラスの技術力も提供できますから、ロシア、欧州の2方向へのゲートウェーとして、日本企業にとって、まさに『ベースキャンプ』になり得る場所なのです。
逆に、フィンランドにとっては日本がロシア極東部や東アジア、東南アジアへ事業展開をするときの『ベースキャンプ』になる。巨大な中国市場や成長著しい東南アジア市場へも近く、企業の持つ科学技術や資本力、比較的安定的な投資環境がある日本は、フィンランド企業にとって恰好なビジネスの拠点。ロシアを東と西から挟む位置で行うビジネス協力は、日フィン双方にとって大きな意味を持ちます」
紙やパルプの重要性
そして篠田氏が挙げる3つ目の視点は「エネルギー」だ。バランスの取れたエネルギー政策をとるフィンランドは、特にバイオマスやクリーンテックと呼ばれる再生可能エネルギーの分野で協力する余地が大きいと言う。
「フィンランドは、石油、ガスといった化石燃料、太陽光、風力、バイオマスといった再生可能エネルギー、そして原子力と、3つのエネルギーをバランスのとれた形で利用しようとしてきた。フィンランドの地盤は強固な花崗岩ですので、地震や津波には無縁だからこそ、1970年代以降原子力に力を入れてきました。が、東日本大震災の際の福島第1原子力発電所事故を契機として、欧州では脱原発の動きが広まっています。そのような流れの中で、フィンランドも近年、再生可能エネルギーをより重視しつつあるように見受けられます。森林資源国としてバイオマスの活用は大いに進んでいます。我が国にとっても、今後フィンランドとのエネルギーに関する協力としては、自然エネルギーの分野がますます重要になるでしょう。
フィンランドは国土の70%が森林で覆われており、環境に配慮しつつ高品質の木材が調達可能です。ハウスメーカーのミサワホームは1994年、フィンランド中部の森林の中にあるミッケリ市に『ミサワホームズ・オブ・フィンランド』を創業しました。地元自治体と提携・協力して製材工場をバイオマス発電所に隣接したところに建設し、製材の際に出る木くずをその発電所に供給して発電や暖房のために回し、それを逆流させ製材工場の建材の乾燥にも利用している。地元自治体との相互信頼関係を構築したからこその協力関係です。
プラスチック汚染が世界中に広がっている今、フィンランドの森林を活かした紙やパルプの重要性もより増してくるでしょう。昨年、日本製紙がペットボトルに替わるキャップ付きの紙の容器を開発したとの報道がありましたが、こうした分野も誠に有意義なビジネスになるのではないかと思います」
着目される「バレンツ地域」
そして、もっとも重要な視点が「北極」だ、と篠田氏は指摘する。最後の未開拓地と言われる北極圏は、地球温暖化や厳しい環境に対応する技術の開発で、世界の未発見の天然ガス30%、原油13%が埋蔵されていると言われる地下資源の採掘が本格化。他にも欧州とアジアをつなぐ北極海航路の本格的な利用も視野に入って来ており、北極をめぐる多国間の動きが活発になっている。
「北極海に面する国は5つ。ロシア、アメリカ、カナダ、ノルウェー、デンマーク(グリーンランド)です。以前はフィンランドも面していたのですが、第2次大戦の結果、北極海に面した地域をソ連に割譲することを余儀なくされたので、非沿岸国になってしまいました。ですが、フィンランドは先述したような歴史があり、北極圏に対する研究が進んでいます。
例えば、砕氷船技術。ホルムズ海峡に次いでタンカーの往来が激しいとも言われるフィンランド湾は、氷で閉ざされる期間が長く、浅くて危険な海域です。安全航行を図るため、フィンランドでは砕氷船技術が進み、世界の砕氷船の8割はフィンランドで設計され、6割は造船されていると言われています。温暖化が進んでいるとはいえ、北極海航路には砕氷船のエスコートは不可欠な技術です。
従来使用されるスエズ運河を経由する航路の場合、政情不安定な中東を通らなければならないうえに、相当の航行日数を要します。北極海航路はこれを3分の2ほどに短縮できるので、人件費、燃料費が削減可能です。またインド洋経由では寒暖差が数十度もあり得、食品や材木を運ぶ際には低温を保てる北極海航路の方が品質を保ったままの輸送がより容易でしょう。けれども、気象・海氷のモニタリング、油濁汚染対策、航行支援システムなど、解決を要する問題もまだまだあります。
その北極政策の一環として着目すべきだと思われるのが『バレンツ地域』です。これはバレンツ海に面するノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアにわたる地域です。北極海航路の西の端にあたるノルウェー北部の天然の良港、キルケネスでは港湾設備の整備が進んでいます。そこから少し西のハンメルフェストには沖合にスノービット天然ガス田があり、欧州最大のLNG(液化天然ガス)プラントが稼働しています。他にもサーモンなどの養殖を含めた栽培漁業や鉱山開発、林業、そして種々の寒冷地仕様技術など、様々な分野で発展し、活況を呈していますので、ビジネス・チャンスに恵まれた地域です。
三菱商事は『セルマック』というノルウェーのサケ養殖・加工会社を2014年に買収し、新たな水産事業を始めています。北部ノルウェーのサーモンは、陸路でオスロに到着するよりも、フィンランド国内まで高速道路でトラック輸送してヘルシンキからフィンエア・カーゴに載せれば、日本到着は、陸路オスロに到着するより早いそうです。フィンエア・カーゴの社長にそう聞きました。
また、この地域はレアメタル、銅、ニッケル、プラチナ、ウラン等の鉱山資源に恵まれています。環境保護基準が厳格であり、これまで爆発的な開発は行われていないようですが、その埋蔵量は膨大であると聞いています。日本企業が参入しているという話はあまり聞きませんでしたが、ビジネス機会は相当あるように思われます。
バレンツ地域、特に北部ノルウェーの石油・ガス産業の街などに足を運ぶと、人口流入が進んでいるのが皮膚感覚で感じられます。 エクイノール社(旧ノルウェー国営エネルギー企業・スタトオイル社)の巨大なLNGプラントが操業するハンメルフェストには、様々な国から石油・ガス関連の技術者などが家族を伴いどんどん入って来ていて、小さな田舎町なのに学校や病院、デパート、ホテルと建設ラッシュが起こっている。ハンメルフェストの市長は、忙しくて仕方がないと、嬉しい悲鳴をあげていました。
この地域でフィンランドの役割が大きくなると思われるのは、北部ノルウェーが北極海航路の西の拠点となれば、欧州中央部への輸送を担う回廊の役割を果たすことになるからです。そのため現在、地元関係者が熱心に『北極圏鉄道構想』を推進しています。これは北極海航路の西のターミナルとなることを目指しているキルケネスから、北部フィンランドのロヴァニエミまで500km余りの鉄道を敷設すれば、北極海から欧州中央部まで石油・ガス、鉱物資源、水産物、木材などを効率よく運ぶ輸送回廊になるというのです。今はまだヘルシンキからエストニアの首都タリンまで船を使用していますが、将来海底トンネルをつくると、輸送がよりスムーズになるでしょう。鉄道と言えば日本の技術の出番ではないでしょうか。日本製の寒冷地用高品質レールなども大いに活躍の余地があると思います。
また『北極海・海底・光ファイバーケーブル構想』にも、フィンランドは積極的です。これは北極海航路沿いに海底・光ファイバーケーブルを敷いて、現在、多くが北米経由になっている欧州・アジアのデータ通信を直に繋いでしまおうというもの。フィンランドは、バルト海部分は2017年、すでに海底ケーブルでドイツと繋いで準備を進めており、北極海ルートの構築に向けての日本企業との協力に熱い視線を送っています」
サブリージョナルな組織
だが、ウクライナ問題で制裁下にあるロシアが、これらの北極圏構想に積極的に参加するのだろうか。
「バレンツ地域は冷戦崩壊後、国家間のレベルと並行して各国地域間のレベルでの協力が非常に進んでいます。この地域独自の国際組織もあり、それが1993年に設立された『バレンツ・ユーロ北極協議会(Barents Euro-Arctic Council: BEAC)』。BEACはバレンツ海に面する地域の環境保全と持続可能な開発を目的として、フィンランド、アイスランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、ロシア、EUをメンバーとして組織された政府間組織です。その中心となっているのが、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、ロシアで、この4カ国で議長を持ち回りにしています。
フィンランドからロシアに議長国が代わった2015年に、外相会合も行われました。が、前年にロシアがウクライナに侵攻し、経済制裁を受けていた時期だったので、北欧諸国とロシアとの関係は政治的にかなり緊張したものになっていました。しかし、会合に本当にやってくるだろうかと言われていたロシアのセルゲイ・ラブロフ外相も参加し、政治的な色合いをなるべく排して協力を進めるというこの組織の精神を維持する形で会合は無事行われました。
重要なのは、日本は当初からBEACにアジア唯一のオブザーバーとして参加してきていること。その強みを活かして、これまで以上に積極的に係われば、経済的その他のチャンスは大きく広がるでしょう。
そして、この閣僚レベルのBEACのほか、地方自治体の交流組織『バレンツ地域評議会(Barents Regional Committee: BRC)』があり、こちらは多くのステークホルダーが自由に参画できるよう、よりサブリージョナルな組織になっています。
ロシアも、北欧と組めば、高いレベルの技術、例えば、北極海航路の航行安全システムや地下資源の開発技術等を得られることに意義を感じていると思われます。だからこそ、バレンツ地域協力は維持され、ビジネスも活性化しているのだと思います。
2016年、サウリ・ニーニスト・フィンランド大統領が来日し、安倍総理との首脳会談が行われた際、『アジアと欧州におけるゲートウェイとしての日本国とフィンランド共和国との間の戦略的パートナーシップに関する共同宣言』が発表され、『北極』に関する協力が両国間協力の重要な柱であると位置付けられました。フィンランドが北極を巡る協力の格好なパートナーである所以でありましょう。」
NB8+日本の枠組み
そして最後、5つ目は「北欧・バルト諸国との対話・協力」だと言う。
「北欧5カ国(デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン)とバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)には、地域的枠組み『NB8(Nordic-Baltic Eight)』が存在しています。この組織は北極圏の持続的利用、イノベーション重視などBEACやBRCと多くの共通点があります。日本はNB8と関係を強化するために、『NB8+日本』とする枠組みをつくり、様々な課題について話し合って来ました。NB8との対話を推進する上でフィンランドは牽引力を発揮してきました。今後ともこの枠組において様々な協力を進めていく余地は大いにあるでしょう。
日本では、北欧との協力を考えるとき、ともすればヘルシンキ、オスロ、ストックホルムといった大都市周辺だけに目を向けがちです。しかし、 “辺境”と思われているようなバレンツ地域などに足を向けると、その活気ある様子に刮目するでしょう。バレンツ地域協力は進んでおり、時機を失しないよう出来るだけ早い段階から参画していくことが重要だと思います。1人でも1社でもこれらのことに関心を持って頂いて、ヘルシンキ留まりにならず、実際に北へ北へと現地に足を運んでいただきたいと思っています」